Billy Joel

Billy Joel 「A Matter Of Trust – The Bridge To Russia」 (2014)



1. Prelude/Angry Young Man
2. Allentown
3. Goodnight Saigon
4. Big Man On Mulberry Street
5. Baby Grand
6. An Innocent Man 
7. Honesty 
8. The Longest Time 
9. A Matter Of Trust
10. Only The Good Die Young
11. It's Still Rock And Roll To Me 
12. Sometimes A Fantasy 
13. You May Be Right 
14. Uptown Girl
15. Big Shot
16. Back In The U.S.S.R.
17. Pressure

先日のMoscow Music Peace Festivalは1989年だったが、これに先駆けて1987年に単独公演として初めてソ連に渡ったのがBilly Joelである。

この公演の音源は当時「KOHUEPT」というタイトルでリリースされており、私も昔からよく聴いていた。今年はその音源が未発表曲含めてフルセットの2枚組CDとなってリイシューされた。またビデオだったライブ映像も初DVD化され、さらには今回「Bridge To Russia」というドキュメンタリー映像まで合わせて収録されている。

このドキュメンタリーを観て今まで知り得なかった事実を多く知ることが出来た。Billyは大任を任され大きなプレッシャーに駆られていたこと。音響の悪い会場のために喉を壊していたこと。最初は微動だにしない観客に動揺したこと。客席に降りて後方から熱狂的な観客をステージ前まで連れてきたことで、会場のボルテージを上げたこと。会場を照らして観客を動揺させた照明係に対して演奏中にブチ切れたこと、等々。

最も印象的だったのはBillyのメッセージを伝えんとする姿勢であった。幼少から敵国だと教え込まれたソ連国民の熱烈な歓迎と、彼らの自由もなく困窮した生活を目の当たりにし、時代が変わる中で自由を謳歌することの素晴らしさを伝えようとした。そしてそれは数々のインタビューや街中での交流、ステージでの通訳、何よりも彼の熱いパフォーマンスを通して確かにソ連国民に伝わったのだった。

この時のソ連ツアーの費用は自腹を切ったとBillyは語っていたが、伝記本によるとその金額は300万ドルとなったらしい。彼がこれだけの熱意を注いだこのイベントは、結果的にBillyのキャリアの頂点となっただけでなく、ソ連の歴史の中でも大きな意義を残したのだった。

昨今ウクライナ問題によってまた冷戦時代に戻りつつある中で、未来に夢を持っていたあの頃が懐かしいものである。


Billy Joel "Leningrad" (1989)

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Billy Joel

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最近クリミア・ウクライナ情勢が連日報道されている。今やロシアはG8から除名され、終結したはずの冷戦時代に再び突入しようとしている。つい先日平和の象徴たるオリンピックを開催した国がこのような事態を招いていることは、参加した多くの国の選手や恐らくロシアのボランティアにとっても非常に悲しいことではないだろうか。

冷戦で思い出すのはBilly JoelのLeningrad。冷戦が終結した1989年に発表された名曲だ。最初この曲は単に郷愁を唄ったものだと思っていたが、後になってもっと深い意味があることを知った。

ソ連のレニングラードに生まれたVictorと、アメリカに生まれた主人公。敵対する国同士に生きた2人の境遇が、朝鮮戦争やキューバ危機など身近で続いた冷戦を通して、対比的に描かれている。そして最終的に彼らはレニングラードで邂逅するのである。主人公はBilly本人のことであり、これは全てノンフィクションだ。1987年にBillyはソ連公演を実現しており、PVにはVictorも登場する。

Viktor was born in the spring of '44
And never saw his father anymore
A child of sacrifice, a child of war
Another son who never had a father after Leningrad

Went off to school and learned to serve the state
Followed the rules and drank his vodka straight
The only way to live was drown the hate
A Russian life was very sad
And such was life in Leningrad

I was born in '49
A cold war kid in McCarthy time
Stop 'em at the 38th Parallel
Blast those yellow reds to hell
And cold war kids were hard to kill
Under their desk in an air raid drill
Haven't they heard we won the war
What do they keep on fighting for?

Viktor was sent to some Red Army town
Served out his time, became a circus clown
The greatest happiness he'd ever found
Was making Russian children glad
And children lived in Leningrad

But children lived in Levittown
And hid in the shelters underground
Until the Soviets turned their ships around
And tore the Cuban missiles down
And in that bright October sun
We knew our childhood days were done
And I watched my friends go off to war
What do they keep on fighting for?

And so my child, and I came to this place
To meet him eye to eye and face to face
He made my daughter laugh, then we embraced
We never knew what friends we had
Until we came to Leningrad

極端なイデオロギーを持った一国の宰相とその支持基盤があるだけで、世界平和はいとも簡単に崩壊してしまうものだ。また歴史は繰り返すのだろうか。


Phil Ramone 逝去



名プロデューサーPhil Ramoneが大動脈瘤のためNew Yorkで亡くなった。享年79歳だった。

Phil Ramoneと聞いて真っ先に思い浮かぶのはやはりBilly Joelだ。77年の名盤「The Stranger」から86年の「The Bridge」までは全てこの人のプロデュースだ。またPaul McCartneyやPaul Simon、Bob Dylanなど彼が手掛けたアーティストは数知れない。

彼のバイオグラフィーを改めて見ていたら、65年のJoao GilbertoとStan Getzの"イパネマの娘"もこの人のプロデュースだったことを初めて知った。またA&Rスタジオの設立、グラミーは14回受章、CDやDVDの普及にも尽力している。彼が音楽界に残した功績の大きさは計り知れない。

彼のプロデュースで私が大好きな曲の1つに、Billy Joelの"Scenes From An Italian Restaurant"がある。この曲の元となったのはカーネギーホール前に実際にあったイタリアンレストランだが、そこはBillyとPhilが初めて出会い意気投合した場所でもある。だから私はいつもこの曲を聴く度に、2人がテーブルに向き合って座り談笑している姿を思い浮かべてしまう。

R.I.P.


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