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映画『カルロス:ザ・サンタナ・ジャーニー』

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私が初めてサンタナを聴いたのは、2005年のオーストラリアだった。当時高校の教員としてホームステイの引率で訪れたのだが、私自身のホストファーザーが無類のロック好きだった。初老のイギリス人で元々ギター職人だったらしく、毎晩のように昔のロック談義に花を咲かせたが、ある晩に彼が「Supernatural」を聴かせてくれた。コラボしている当時の色んなミュージシャンの個性に負けない彼のラテン音楽とギタープレイが心地良くて、コンポの前から動けなかった。

彼のライブを観たのは翌年のUdo Music Festival。大トリでステージに登場し、夕暮れの夏山に響き渡るパーカッシブなコンガのリズムと、カルロスのクリーンなギタートーンが今でも思い出される。

そのサンタナのドキュメンタリー映画が上映されたので観に行った。最初にいきなり若い監督のロングインタビューが流れ、監督の熱い想いが語られていた。

カルロスのメキシコの少年時代、地元で父親と一緒にマリアッチ音楽のバイオリンを弾いていたが、エレキギターとの出会いが彼をサンフランシスコへと誘う。そこでビル・グレアムに認められ、彼のバンドはフィルモアウエストの常連となる。

最初のハイライトは1969年のウッドストックだ。元々深夜の出演予定だったのが急遽早まり、ドラッグで飛んだままステージに上がった。幻覚でギターネックがぐにゃぐにゃ曲がるのを、必死に抑えながら演奏していたから、あんな形相だったらしい。結果的にこの熱演がバンド人気に火を付けた。

しかしバンドはドラッグに溺れ分解した。カルロスは信仰を得てクリーンになり、フュージョンとの融合という新たな音楽性を確立する。そして豪華な布陣でラテンに回帰した1999年の「Supernatural」でグラミー8部門受賞という第2のハイライトを迎える。

インタビューで語られていた達観した世界観と人生哲学が印象的だった。久しぶりにアルバムを引っ張り出してみようか。


「レジェンド & バタフライ」

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娘の小学校から仲の良い友達に筋金入りの歴女がいる。戦国時代で特に島津氏を敬愛し、娘を盛んに戦国の沼へと誘う。大河ドラマ「どうする家康」を毎週私と一緒に観ているのも彼女の影響だ。娘がその歴女に誘われて2人で映画「レジェンド&バタフライ」を観に行くと言った。

この映画は織田信長と濃姫の時代劇である。木村拓哉と綾瀬はるかの主演で話題になっていたので、私も少し気になっていた。娘達に一緒について行くのは反対されたので、私は同日別行動で観に行った。

で、実際に観て知ったが、これは壮大なスケールで描かれた時代劇ラブストーリーだった。政略結婚により信長に嫁いできた濃姫は、美濃国の斉藤道三の娘。腕力も狩りも信長を凌ぐ男勝りで、当初は隙あらば信長の暗殺さえ企んでいた。そんな2人がやがて天下布武という共通の夢を目指して戦国の世を駆け抜けていくというのが大まかなストーリー。

3時間という長丁場にも関わらず、いわゆる信長の映画で期待されるような桶狭間や長篠での実際の戦いの様子などはここでは全く描かれていない。桶狭間の戦略も濃姫の入れ知恵という有り様で、信長はカッコ付けでどうにも情けない。まぁ紋切り型の信長映画などはもう今さらだし、時代にも合わないのだろう。

その日の夕食では娘との感想談義に花が咲いた。どうやら娘も私と同じような感想だったようだ。娘が好きなのは明智光秀だったが、光秀も期待したほど登場せず、本能寺の変に至る動機付けも弱いと2人して感じていた。しかし彼女にとっては信長を守って散った藍丸が予想外にカッコ良かったらしい。隣にいた歴女による解説もあって、初めて観た時代劇映画に満足していた。

ちなみに信長の城として清洲城・岐阜城・安土城と、歴代の色々な城が登場していた。個人的には豪華絢爛な安土城よりも、急峻な山城の岐阜城に惹かれた。一度訪れてみたいものだ。


映画「ランディ・ローズ」

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あれは確か高校2年の夏だったと思う。「ランディ・ローズのビデオを買わねーか?」とギター弾きの悪友が持ち掛けてきた。当時はネットもYouTubeもない時代。雑誌で写真を見たことしかないギターヒーローの動く姿を見られるとあって、5000円と高額だったにも関わらず私はその話に乗ってしまった。しかし映っていたのは画質の悪いオーディエンスショットの酷い映像で、後で文句を言ったものだった。

今回そんなランディのドキュメンタリー映画が制作されたということで期待をして観に行った。日曜の横浜キノシネマは私のようなかつてのロックキッズで一杯だった。

まずは私もあまり知らなかった彼のQuiet Riot時代が長い時間を取って紹介されていた。ランディの母親や兄、ケヴィン・ダブロウ、ルディ・サーゾ等多くの関係者・バンドメンバー達のインタビュー、そして見たこともなかったランディの貴重な写真や映像の数々に見入った。

実は彼の伝記本も出版されていたことは知っていたが未読だったため、彼については知らなかったことが多かった。Quiet Riotの創設者であること、ケヴィンの元彼女と付き合っていたこと、ベースのケリーを解雇する際に掴み合いの大喧嘩をしたこと、デビュー前のエディヴァンヘイレンと張り合っていたこと、等々。女性のような綺麗な顔つきで、ステージ以外は大人しいというイメージとは異なる、彼の男らしい一面を知った。

一方で、Ozzy Osbourne Band時代は期待外れだった。飛行機事故の様子が見られたのは良かったが、オジーのインタビューは古いものばかり。何よりもオジーの楽曲を一切聴くことが出来なかった。"Crazy Train"のリフの話をしているバックに流れ出したのが、全く聞いたこともない無関係の曲だったのには思わず失笑してしまった。オジー側(というかシャロン)の協力を得られなかったらしいが、要するに使用料が高額だったのだろう。唯一のライブ映像が、先の私が悪友から買ったオーディエンスショットだったのは悲しかった。

Quiet Riot時代のライブ映像だけはたっぶりと収録されており、彼のステージでの見事なプレイを拝むことが出来た。その中で派手なソロの最後に彼がエレキであの"Dee"をしっとりと弾いていた。Ozzy Band時代も毎日クラシックを練習していたことは証言されていたが、この曲がそんな前から温められていたことに独り感動していた。


「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」

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インドは不思議な国だ。ヒンズー教だけでなく仏教の発祥の地であり、哲学から社会制度・食文化に至るまで独特な文明を持っている。最近は私も仕事でインド人と付き合うことが増えてきたが、潤沢な資金力と押しの強さにはいつも圧倒される。

私がインドについて最も関心があるのは、彼らの音楽である。シタールは日本の琴やアメリカのスティールギターに並ぶ三大弦楽器だと思っているが、あの独特の鳴りと音色はある種のトリップ感覚を与えてくれる。そんなインド音楽を世界に広めたのが、ビートルズであり、ジョージ・ハリソンだった。

この映画はそのビートルズが1968年にインドに滞在していた時の様子に焦点を当てたものである。当時インドでビートルズと同じ時を過ごしたポール・サルツマンといカナダ人の目を通して描かれており、彼が脚本・監督を務めている。

サルツマンは失恋を癒すために、超越瞑想を教えていたマハリシ・ヨーギーのいる北インドのリシケシュを訪れた。そこに偶然滞在していたのがビートルズの面々だった。共に瞑想を学ぶうちに打ち解け、リラックスした彼らの様子を撮影したり、楽曲制作を目の当たりにする。見ているこちらも彼らを身近に感じられる。

それまでのビートルズは世界的な熱狂の渦中にいた。常に注目とドラッグを浴び続け、そのまま行けばジミヘンやジャニスのように死に至るか、ブライアン・ウィルソンやクラプトンのように廃人になっていてもおかしくなかった。そんな彼らをインドに連れて行ったのがジョージだったわけだ。

私は瞑想をしたことはないが、きっと宗教と同様に必要とする人には効果があるのだろう。そのお陰で彼らはクリーンになりクリエイティヴに立ち戻ることが出来たのだから。そして瞑想とインド音楽はセットで世界に広まっていき、平和を希求するヒッピー文化に影響を与えるのだった。そう考えると、ジョージの存在というのは非常に大きかったのだと言える。

「L.A.コールドケース」

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1990年代のアメリカのヒップホップシーンは東西抗争の真っ只中にあった。ウェストコーストの象徴であった2パックが1996年9月にラスベガスの街中で殺された。そしてその翌年1997年3月にイーストコーストのノトーリアスBIG (BIGGY)が殺されている。

1997年5月から私は留学のためアメリカのラスベガス郊外に住んでいた。2PACが殺されたMGMホテルの前はいつも通学の際に車で通っていたが、昼夜も往来の多い大通りであった。こんな人目につく場所で殺されたのに、何故犯人が捕まらないのか不思議で仕方なかったものだった。

その謎に迫るのが、このノンフィクション映画「L.A.コールドケース (City of Lies)」である。BIGGYの事件を追ったロス市警のラッセル・プール刑事は実在の人物であり、彼を演じているのがジョニー・デップだ。彼が担当となり事件を追ううちに、それが単なる東西ギャングの抗争ではないことを知る。上司らの妨害に合いロス市警を追われ、家族にも去られても、彼は執拗に事件を追い続ける。そして西側にいた3人の黒人警官に辿り着く。

フィクションならよくありそうな話だと思うが、これが事実なら驚くべき内容である。しかしこうした闇構造を作り出したのは、白人警察による黒人に対する差別や暴力と、それに対する黒人による復讐心なのだ

事件から既に四半世紀が経ったが、ロス市警が隠蔽しようとする限り事件が解決することはないのだろう。そしてアメリカに差別が根強く残る限り、闇構造もなくなることはないのだろう。

監督と俳優陣の気概を感じる映画だった。


「神々の山嶺」

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8月11日は山の日。ということで今回は山の映画を取り上げたい。

この「神々の山嶺」は元々は1994年の夢枕獏氏の小説を、谷口ジロー氏が2003年に漫画化したものである。それを昨年、日本ではなくフランスで映画化されて大ヒットを記録していた。なぜ日本の作品がフランスで映画化されたのか。

それはフランスでは日本の漫画やアニメ、ボカロなどのポップカルチャーが絶大な支持を集めているからである。私の会社の同僚女性の旦那さんがフランス人なのだが、彼も日本のそうした文化が好きで来日した1人だ。そんなフランスで谷口ジローは絶大な人気を誇っていて、この作品が映画化されたのもそうした経緯だ。

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この作品は小説でも漫画でも読んだが、どちらも素晴らしかった。しかし以前日本で制作された実写の映画はいまいちだった。今回はフランス人が制作したアニメということで、どうなんだろうと思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。

時は1993年、主人公のカメラマン深町誠が、ネパールにいる孤高のクライマー羽生丈二と、彼の持つ1台の古いカメラを追い求める。そのカメラは1924年にエベレストに初登頂していたかもしれないジョージ・マロリーのものだった、というのが大まかなストーリーだ。エベレストに命をかける男達の生き様と登山史最大のミステリーを絶妙に絡めた山岳文学の傑作である。

今回のアニメ映画では、まずヒマラヤの山々のリアルな描写が美しい。また日本の街並みや小物に至るまで、当時の日本そのものであり、これをフランス人が作ったとは信じ難いほどだ。登場人物の目が小さいのは、きっと外国人から見た日本人はこんな感じなのだろう。

脚本はだいぶ端折ってはいるが、基本的に原作に忠実だ。実写映画では女性がやたら前面に出過ぎてメロドラマのようで興醒めしたのだが、本作は完全にストイックな男の世界なことに好感が持てた。

正直大人になってからアニメの映画なんて劇場で観たのは、娘がまだ小さい頃に付き添いで行ったディズニーやピクサーくらいだった。しかしこれは大人が愉しめる映画だと思ったし、実際に劇場には中高年が多かった。亡くなった谷口ジロー氏もこれを観たら喜んだことだろう。


「ベルファスト」

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私が北アイルランド問題について知ったのは大学生の頃だった。国際関係論の講座で、世界の何処かの国についてレポートをまとめるみたいな非常にザックリとした課題が出たのだ。私はアイルランドの歴史について調べたのだが、すぐに後悔することになった。私の想像していたよりも遥かに複雑だったのだ。一番厄介だったのが、この北アイルランド問題だった。ひーひー言いながら何とかまとめて単位を取ることが出来た。

しかし一方的に聞くだけの講座内容よりも、能動的に学んだ内容の方がよほど身に残るものらしい。そのお陰で私はその後もこの問題への関心を持ち続けることになった。

伝統的カトリックの地であるアイルランドを、プロテスタントのイギリスが搾取し続けてきたというのが基本構造で、両国の狭間で紛争の最前線となっていたのが、北アイルランドでありベルファストだった。この映画はベルファストに住む1人の少年バディの目を通して描かれており、この街出身のケネス・ブラナー監督自身の幼少期を描いた自伝的作品でもある。

1969年8月15日、それまで平和だったベルファストでプロテスタント過激派がカトリック住民に対して排斥攻撃を開始する。街にはバリケードが敷かれ住民は分断されていく。暴動とイギリス軍に生活を脅かされ、最後にバディ一家は街を出て行く決心をすることになる。

非常に重苦しいテーマにも関わらず、映画が少年目線だからだろうか、随所に彼が街で遊んでいる様子など明るい場面を挿入している。それらのバックに流れるベルファスト出身の大御所ヴァン・モリソンの歌声が印象的だった。そうした良き想い出が最終的な決断をより辛いものにしている。監督が手掛けたこの脚本はアカデミー賞を受賞している。

ただ、この映画では描かれていないが、3年後に起きた血の日曜日事件を始め、実際この紛争では多くの死者が出ており、もっと悲惨なものだった。過激派IRAのテロなどが長く続き、ベルファストで両宗派が和解するまではその後20年という年月を要している。こうした宗教戦争に対して私達日本人は門外漢でしかないが、個人的にはいつか南北アイルランドが統一できる日が来ることを願っている。



「ぼくらの七日間戦争」

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娘は学校の図書室からちょこちょこ本を借りてくる。先日は宗田理の「ぼくらの七日間戦争」を借りてきた。最近アニメ化されたらしいので、気になったのだろうか。中学1年生の集団が大人に反抗して立て篭もる話で、昔私も実写の映画で観たことがあったので懐かしくなった。

原作は知らなかったので読んでみたのだが、実写映画とは色々と違っていた。まず開放区に立て籠ったのは、映画では男女11人だったのに、原作ではクラスの男子20人全員で、女子は外で補助的役割のみだった。また原作には映画にはなかった誘拐エピソードがありストーリーがより複雑だった一方で、戦車は登場しなかった。

原作に違和感を感じてしまったので、久しぶりに映画も借りてきて観てみた。やはり一番印象的なのは主演の宮沢りえだろう。オーディション応募で演技経験も女優になる気も全くなかったということが信じられないほど、堂に入った演技である。脚本を変えたのは彼女の存在が大きかったのかもしれない。また主題歌となったTM NETWORKの"Seven Days War"も名曲だった。

原作では、主人公が両親の学生運動の影響を受けていたという設定になっていた。私は親から学生運動の話など聞いたことはなかったし、私もその時代に共感もない。ただ今と比べると、私の時代も管理教育は色濃かったため、私もこの映画や尾崎豊などには強く共感したものだった。

こうした反抗は当時ならではのものだろうか。今の時代なら引きこもりになるのかもしれない。もっとも実際の戦争が海外で起きていることを考えれば、これも平和な国での話なのだろう。



「グレタ ひとりぼっちの挑戦」

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先月、神保町にあるミニシアター「岩波ホール」が閉館することを発表した。昨年「八甲田山」を観に行ったばかりだったので驚いたが、これもコロナ禍で政府の文化支援もなかったことが要因だった。今、国内のミニシアターは危機に瀕している。

横浜にある「ジャックアンドベティ」も守りたい映画館の1つだ。昨年末にここで、スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんを追ったドキュメンタリー映画「グレタ ひとりぼっちの挑戦(I AM GRETA)」が公開されたので観に行って来た。

2018年に彼女は15歳の時に学校をボイコットし、ストックホルムの国会議事堂前で単独の座り込み抗議活動を始めた。深刻になっている地球温暖化への対策を選挙争点化させるためだった。この活動は急速な広がりを見せ、世界中で数千万人もの若者がデモで声を上げるようになった。彼女は各地の国際会議に招待され見事なスピーチをし続けるが、実際の政策に繋がらないことにジレンマを抱く。国連会議に出席するためにボートで大西洋を横断する場面がハイライトである。

彼女が抱えるアスペルガーは軽度発達障害の1つで、コミュニケーションが苦手な代わりに興味ある分野には高い能力を示す。過去にアスペだった偉人も多く、彼女もこの特性があってこそと納得する。しかし世界中から注目と称賛と攻撃を浴び続けるのは10代の少女にとってあまりにも過酷だ。それでも闘い続けようとする覚悟には頭が下がる。彼女を支える父親の存在も大きい。

私も幼少から自然に親しみ地球規模の自然破壊を危惧していたので、環境保護のために無駄な消費を慎むことを信条としていた。しかし別れた妻は正反対の価値観を持ち、理解してもらうことは出来なかった。周囲でもグレタさんの存在すら知らない人は多いし、トランプ前米大統領やブラジル大統領らは自然保護などする気もない。知識の有無の問題ではなく、そもそも異なる価値観の人々に賛同してもらうことは期待できないのだろうか。

先日イギリスで開催されたCOP26でも世界中から多くの若者が集ったが、結局先進各国の様々な思惑や利権から、満足できるような合意は得られなかった。何より石炭産業に固執し"化石賞"まで受賞した日本は恥ずべきだ。


映画「燃えよ剣」

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映画「燃えよ剣」がようやく公開された。元々昨年の5月に公開されるはずだったこの映画は、コロナ禍のために延期となっていた。この1年半のパンデミックの最中でも他に公開された映画は多々あったが、「燃えよ剣」は公開日未定のままだった。まずは無事に公開されたことを喜びたい。

実際に観た感想を言うなら、傑作の一言に尽きる。私自身これまで時代劇を映画館で観たことなどなかったと思うし、原作を読んだ後に観る映画は大抵がっかりすることが多いのだが、この映画は本当に力作だった。

2時間半に及ぶ大作だが、原作が長いだけにかなり早いテンポで話は進んでいく。それでも基本的に原作に忠実に再現されていた。地元の人間としてはやはり特に興味深かったのはバラガキだった武州多摩の時代で、日野宿や大国魂神社以外の各場面はどこで撮影したのか気になった。京都、山梨、函館と転戦していくが、とにかく全編に渡って映像美が見事だった。

池田屋事件の殺陣については特に丁寧に描写されていた。昔は斬り合いなど興味なかったが、今ならこの殺陣の見事さが理解できる。余談だが、かつて私が小学生の頃に、友人が日野市内の剣道道場に通っていた。そこが天然理心流の道場だったことを最近知った。既に取り壊されてしまったのが残念だ。

そして何よりも役者陣が皆熱演だった。土方歳三役の岡田准一は殺陣の指導までしたらしいが、こんな凄い役者だとは知らなかった。個人的に好きだったのは沖田総司。シリアスな中で一人随所で笑わせてくれたが、それだけに末路が悲しかった。

はっきり言って土方歳三は不器用な生き方だったと思う。武術や戦術に秀でていた一方で、死ぬことが分かっていながら時代に抗い続けた。かつてこんな時代があったこと、こんな男がいたことを、同郷の者としては記憶に刻んでおこうと思う。いずれ終焉地の函館も訪ねたい。


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