姫日記

「25時、ナイトコードで」

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1.自傷無色
2.シャルル
3.ハロ/ハワユ
4.命に嫌われている
5.乙女解剖
6.独りんぼエンヴィー
7.とても痛い痛がりたい
8.ボッカデラベリタ
9.夜に駆ける
10.ビターチョコデコレーション
11.カトラリー
12.ベノム

最近うちの娘がハマっているのは「プロジェクトセカイ(通称プロセカ)」である。これはボカロ曲に合わせてリズムを刻む音楽ゲーム(通称音ゲー)である。友達が皆やっていてもうちはこれまで認めていなかったのだが、許可した夏以降はずっとこればかりやっている。

沢山の曲に合わせて様々なレベルや譜面があるようだ。高レベルの早いテンポをクリアできるようになりドヤ顔してくるが、親としてはどうにも素直に褒め辛いものがある。

人気の高いボカロ曲が次々と追加されているようで、娘も自分の好きな曲が入ると喜んでいる。ボカロ作曲家にとってもこのゲームに曲が採用されることは1つのステータスになっているらしい。

またこのゲームが人気なのは単なる音ゲーではなく、初音ミクを始めとする大勢のキャラクター達が、アイドルグループやロックバンドなどユニットを組み、それぞれのストーリーが展開していくのも理由だ。ストーリーのアニメーションが挿入されていたり、ミュージックビデオで歌うキャラクターの衣装を集めるために点数を稼ぐなど、色々な工夫がなされているようだ。

その中で娘が好きなのが、この「25時、ナイトコードで。」(通称ニーゴ)というユニットである。これは歌や作曲、イラストや動画制作など、それぞれの分野を得意とする少女達が深夜にオンラインで集まり創作活動を行うサークルらしい。

今娘は同じ学校のクラスで仲の良い友達が2人いるのだが、偶然にも1人は歌、もう1人は作曲と動画制作を得意としている。イラストの得意な娘にとっては、このユニットは正に自分達の投影なのだろう。

そんな娘が先月の誕生日に所望したのがこのCDだった。ニーゴのメンバーを演じている声優達が歌う楽曲を集めたアルバムで、人気の高いボカロ曲ばかり並んでいる。

特に有名なのはYOASOBIの"夜に駆ける"だろう。小説を元に制作された楽曲が注目を集め、ネットから紅白にまで出演し全国区となった。またカンザキイオリの"命に嫌われている"も有名で、昨年末の紅白でネットで絶大な人気を誇るまふまふが歌い話題になっていた。

他にも娘から教えられていたので知っていた曲が多かったが、やはりボーカロイドではなく人間が歌うことで、また違った印象を与えている。最近の声優は演技だけでなく、歌唱も上手いのが定石のようだ。

気になったがこれらの楽曲の歌詞だ。前向きな他のユニットと違い、このユニットはかなり暗く内省的な内容の歌詞の楽曲が多い。しかし単に暗いだけでなく、どこかに救いもある。こうした歌詞が今の思春期の娘達には響くのだろう。


マス掴み

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今日でようやく娘の夏休みが終わる。学校の宿題もようやく今日全てが終わった。娘は夏休みが終わることを残念がっているが、私は早く学校が始まってくれることを願っていた。

今年の夏休みは娘はどこにも出掛けたがらず、ひたすら部屋に引きこもっていた。塾の夏期講習や友達と遊びに外へ出る以外は、ずっとスマホかiPadかゲームになってしまっていた。

私は平日は出勤しなければならないから、日中の生活管理も難しい。本を買い与えたり、宿題をさせたり、夜は端末を取り上げたり、私も色々手を打ってみた。

今の夏の暑さは異常だし、コロナの猛威も最高潮。私の時代とは違うのは分かるのだが、どうにももどかった。

盆休みは娘にどこでも良いから出掛けようと誘いかけ、ようやく出て来たキーワードが「鮎の掴み取り」だった。調べると近郊で鮎はなかったが、県内の清川リバーランドでマスの掴み取りをやっていたのを知り、早速行ってみた。

夏休みだけあって流石に混んでいた。希望するマスの匹数だけ買い取り、人工的に囲った水路に放流されるのを追いかける。川で自然のマスを探すイメージとは少し違っていたが、それでもそれなりに楽しめた。娘は網で4匹全部を捕らえドヤ顔。手掴みにこだわった私は収穫なし。。

取ったマスはその場で焼いて食う。火を起こし直火で焼くと香ばしい匂いが漂う。大ぶりのマスは結構食べ応えがあり、娘は2匹を平らげたらもうお腹一杯になっていた。そのため別で用意したBBQはほとんど手をつけなかったが。

少しでも夏休みの思い出になったら良いが。

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カラオケ

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娘はカラオケが嫌いだ。幼い頃はよく自宅で歌いながら踊ったりしていたものだが、カラオケは嫌がった。あの狭いの空間で流れる大音量が苦手だったのと、母親に笑われるのも嫌だったらしい。

私は若い頃はカラオケが大好きだった。中学から大学まで、友人と集まる時は決まってカラオケだった。ブルーハーツ、ユニコーン、爆風スランプ、TM NETWORK、BOOWYなど、よく声を涸らしながら朝まで歌ったものだった。

社会人になってからは呑むのがメインになってしまったので、カラオケからは遠ざかってしまった。一度で良いから娘とカラオケに行ってみたいと思っていたが、娘は頑なに嫌がった。

そんな娘が友人からカラオケのお誘いを受けた。断り切れなかった娘は練習してみるというので、近くのカラオケに連れて行った。好きなボカロ曲リストを持って1人で個室に閉じこもる。1時間経って出てきた娘はうかない顔をしていた。思いの外ボカロがカラオケに入っていたらしいが、思いの外難しかったらしい。

それも仕方ないだろう。最近の曲は昔と違ってリズムも曲調も複雑だ。しかもボカロは人間の音域以上に高低が激しい。そう言って娘を慰めた。

ところが娘は友人とカラオケに行って嬉しそうに帰って来た。上手な友人と雰囲気に乗せられて2人でボカロを歌いまくってきたという。しかも採点で最高88点まで行ったらしい。本当に上手く歌えたのかどうか知らないが、大事なのはそんな事を気にせず楽しむこと。それを教えてくれた友人に感謝したい。

父も君が楽しく歌う声を聴いてみたい。出来ることなら君と一緒に歌いたい。果たしてそんな日も来るだろうか。

お菓子

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どこのスーパーやコンビニに行っても、やたらと広いスペースでお菓子のコーナーが設けられている。最近娘は買い物に一緒に付いて来なくなったが、以前は大抵コンソメのポテチ、たけのこの里、あとはぶどうのグミなんかを勝手にカゴに突っ込んできたものだった。今でも家のお菓子がなくなると文句言うし、退屈な長距離ドライブの時も、お菓子があればとりあえず機嫌が良くなる。

娘が私に聞いてくる。「たけのこの里ときのこの山、どっちが好き」と。世の中の若い子達にとって、これは重要な命題らしい。しかし私の答えは「どっちでもいい」だ。もっと言えば「どうでもいい」。どちらもチョコ&クッキーではないか。そんな私は娘に言わせると「分かってない」らしい。

実際私はお菓子には全く興味がない。腹が減っている時に何かあれば食べるかもしれないが、それはお菓子である必要がない。むしろもっと栄養になるものである方が良いと思っている。

私が子供の頃はどうだったか。確かビックリマンチョコは買っていた記憶があるが、あれはシール目当てだった。高校の時は部活帰りに友人とよく駄菓子屋に寄っていたが、いつも買っていたのは凍ったチューチューくらいだ。それ以降、自分のためにお菓子を買った記憶がない。

死んだ親父もやたらお菓子好きだった。認知症のせいもあったが、かりんとうや煎餅など、腹が減ったら家にあるお菓子をむさぼり食い続けていた。お菓子がなければ夕食の食材まで食い尽くされてしまうので、仕方なく毎週腹持ちしそうなお菓子を大量に買い込んでいた。

皆そんなお菓子ばっか食ってたら太るんだぞ。虫歯にもなるし。確かドラえもんの道具で、一粒食べれば腹も膨れて栄養も取れるというのがあったな。あれさえあれば食事も作る必要がないな。

そんな事ばかり考えながら、今日も私は娘のために買い物カゴにお菓子を入れる。

中学校入学

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今月から娘は中学生になった。親としては楽しみにしていた制服姿だったが、実際目にした時に初めて本当に中学生になるんだなと実感した。娘は着慣れない様子で「コスプレみたい」とのたまっていた。

もっとも制服を着たのは入学式から数日のみだった。コロナのため毎日洗濯できるジャージでの登校が推奨されているからだ。次に制服姿を見るのはいつなのか分からず、親としては少し残念だった。

小学校で仲良かった友達全員と別クラスになり不安がっていたが、同じクラスにもボカロやイラストなど共通の話題のある子もいたらしい。ひとまず不登校にならずにスタートを切れたようだ。

親として大変なのは、横浜市の中学校には給食がないこと。希望者のみ配送される給食を注文することも出来るのだが、娘はそれが嫌だと言う。なので仕方なく毎日弁当を作っている。幸い今は時間があるが、もうじき私もフルタイムで出勤しなければならなくなる。そうなると弁当どころか夕食すらちゃんと作ることが出来るかどうか。中学から塾の時間が遅くなったのもさらに厄介だ。

最近めっきり気難しくなったが、どうにか2人で上手くやっていければと思う。

鋸山

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春休みに娘と行った南房総探訪で、最後に訪れたのが鋸山(329m)。東京湾フェリーの金谷港からすぐの場所にある。上はフェリーから見た鋸山の全景。石切場だった岩壁がノコギリのように切り立っている。

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最初ロープウェイで上がろうと思ったらスゴい行列だったため、車で有料道路を登った。駐車場から歩き始める。

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域内は基本的にひたすら階段になっている。かなり急な所もあり、最近めっきり運動不足の娘は早々にバテバテになっていた。

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山中にはあちこちにこの青い花が咲き乱れていた。写真を撮っているうちの花博士な娘に聞いたら、これがスミレらしい。

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弘法大師護摩窟。この山域は日本寺の境内であり、こうした石仏像があちこちで無数に並んでいた。みんな違う顔をしている。

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大仏広場には巨大な石大仏が鎮座している。この大きさは奈良東大寺をゆうに超え日本一らしい。

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ひたすら階段を登り山頂展望台に到着。さらに行列に並んで地獄のぞきにも立ってみたが、特に娘は怖がらず。

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山頂展望台から見た南房総。標高は低いにも関わらず、海が近いため結構な高度感があった。

ただ実は鋸山の本当の山頂(329m)は、そこからさらに40分ほど登った場所にある。行ってみたかったが娘が限界のため断念。低学年の頃の方がよほど体力あったな。

南房総探訪

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春休みに卒業旅行として娘と一緒に南房総へ行った。車で三浦半島先端の久里浜港からフェリーで海を越える。

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初日の朝、フェリーの出発まで時間があったので、久里浜港近くのペリー公園に立ち寄った。ペリー上陸碑と記念館がある。

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久里浜港から東京湾フェリーに乗って金谷港まで渡る。この時はまだ天気が悪く、甲板は冷たい強風が吹き荒れ極寒だった。

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「南総里見八犬伝」で知られる戦国大名 里見義実の館山城。小高い山の上にあり、晴れた天守閣からは一面満開の桜と一帯が見渡せた。

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続いては娘念願の館山いちご狩りセンターへ。甘い紅ほっぺ等20個以上食べまくり腹一杯になっていた。

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浅瀬でつながる沖ノ島という無人島。面白そうだったのだが娘がついて来ず、あまり回れなかった。

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この晩に泊まったのは「じゃぱり館山」。海産物の豪華な夕食と真っ黒な温泉が最高だった。

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旅館の目の前が砂浜になっていた。夕方歩いてみたが、ちょうど赤く染まった夕焼けが綺麗だった。

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翌日はまず房総半島最南端へ行った。野島崎灯台は日本で2番目に古い灯台で、海岸もミニ東尋坊のように岩がちだった。


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海沿いはどこに行ってもこの薄紫色の花が一面に咲いていた。うちの花博士である娘に聞くとハマダイコンというらしい。

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最後は鋸山へ。本当は初日に行くはずだったが、天気が悪かったので2日目にした。ここについて詳しくはまた来週書きたいと思う。

今回が子供料金で行ける最後の旅行となる。もっとも小柄な娘は中学生になっても小学生で充分通用しそうだが。

卒業式

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3月18日(金)は娘の通う小学校の卒業式のはずだった。当日着る袴も用意して父子ともに楽しみにしていた。

しかしその前の週に娘はコロナになってしまった。喉の痛みや咳が出ていたが、熱は全くなかったので、軽い風邪としか思っていなかった。それが、念の為に学校を休んで病院に行って受けたPCR検査で陽性反応が出てしまった。

有症状者の隔離期間は10日間。卒業式の翌日までとなる。卒業式まであと何日と毎日数え、「卒業式で父ちゃん泣く?」と私に聞いていた娘。友達に会えないまま卒業式に出席できないと知り落胆していた。

日頃からマスク・手洗い・うがいは徹底させていたが、感染経路は小学校だと思われた。娘のクラスの欠席者は連日10人以上。にも関わらず基準に満たないということで学級閉鎖にはなっていなかった。もし学級閉鎖になっていれば、娘も卒業式に出ることもできていたのではないか。

私も濃厚接触者になる。最初に食材を大量に買い込み、娘とともに外出を控え、室内の換気や消毒などを日々心掛けた。しかし食事だけは傷心の娘を1人きりにさせることはどうしても出来なかった。それでも結局私に感染ることはなかった。

娘の症状もごく軽微。平熱のままだし、咳も数日で収まった。これは本当にコロナだったのか。彼女を隔離する必要が果たしてあったのか。感染に気付かないまま卒業式に出た子もいたのではないか。毎日浮かんでくるこんな考えを押し留めた。

娘が5年生になった頃は冒頭から長期休校。その後も学級閉鎖や分散登校を繰り返した。修学旅行は2年連続中止。代わりに実施された遠足も風邪をひいて行けず。その挙げ句がこれかと思うとどうにも居た堪れなかったが、娘には極力明るく接した。

3月25日(金) 学校が欠席者用に用意してくれた2度目の卒業式に娘と私は参加した。卒業生の人数は6名のみ。田舎の過疎地のような卒業式だったが、仲の良い友達は誰もいなかった。ランドセルと同じ水色の袴を着た娘が壇上で卒業証書を受け取るのを見届けた。ひとまずこれで無事に卒業できたことに親子ともに安堵した。当日桜は見られなかったが、代わりにコブシの花が満開だった。

1週間遅くなったけど、卒業おめでとう。
早くコロナがなくなればいいのにね。

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三渓園

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今月初頭に娘と梅を見に横浜市内の本牧にある三溪園へ行ってきた。ここは明治時代の実業家 原三溪が財力の限りを尽くした日本庭園で、四季折々の花々が愉しめる国指定名勝だ。

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正門を入ると、沢山の鴨が浮かんでいる大池が広がり、その奥に三重塔が聳える。ここが最初のフォトスポット。

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園の奥にある梅林はそれほど広くはないが、白にピンク、枝垂れ梅など様々な梅の花が満開に近く、あちこちが非常に絵になる。

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旧矢箆原家住宅は白川郷から移築した見事な合掌造り。中では昔ながらの囲炉裏に火も焚かれていた。

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古い雛人形も飾られていた。節句の日は娘に散らし寿司とはまぐりのお吸い物を作ったが、ここでも雛祭り気分を味わえて良かった。

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一見、娘は写経をしているように見えるが、単にゲストブックに落書きをしようとしているだけの図。

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お昼は茶寮で頂いたお蕎麦と団子が美味しかった。娘が真っ先に私の海老フライを取ろうとしているの図。

今回は娘と一緒だったので、あまり時間を取れなかったが、園内には原三溪が全国から集めた歴史的建造物や美術品が数多くある。

ちなみに状況の変化があり、今年1月から本格的に娘と二人暮らしをしている。毎日学校から帰ってくると、その日にあったことを楽しそうに話してくれていた。あとは卒業を待つばかりだと思っていた。

泰巖歴史美術館

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最近娘は日本史に興味を持つようになった。以前は学校で社会は苦手教科の筆頭だった。しかし最近やたら戦国時代に詳しい、いわゆる歴女なクラスメートと仲良くなったことが、良い影響になっているようだ。刀を持った和装の女の子のイラストも嬉しそうに描いていた。

そこで昔私が読んで実家に眠っていた「まんが日本の歴史」を与えてみたところ、「絵が古い」と文句をつけられてしまった。イラストを描くこともあり、絵柄には拘りが強いらしい。仕方なく今一番売れているという角川のものを買い与えたところ、夢中になって読み漁ってくれた。やたら美化された登場人物たちに違和感を感じつつ私も読んだが、知らない事柄も多くあった。今では鎌倉時代は源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年ではなく、幕府の成立とされる1185年から始まったことになったらしい。

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やはり娘は戦国時代が一番好きなようなので、一昨年前に町田にオープンした泰巖歴史美術館に連れて行ってみた。ここには織田信長に焦点を当てた美術博物館で、復元した信長の安土城天守閣を始め、直筆書状や図屏風、刀剣や甲冑、茶室や茶器などがずらりと展示されていた。娘も「のぶちゃんのお城?」「たけちゃん(武田信玄)の手紙?」と興味深そうに眺めていた。

最近は私も土方歳三や武田信玄あたりから歴史に興味を持つようになってきたので、ちょうど良いタイミングだった。今後も親子で色々学んでいければと思う。

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