訃報

ナルシソ・イエペス

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先月急逝した親父について思い返してみる。生前は疎ましく思うこともあったが、親父から受けた影響の大きさは否定することは出来なかった。それは山登りだったり、くしゃみの仕方だったり。

音楽もその1つだ。子供の頃に家ではビートルズやカーペンターズなどの60〜70年代のポップスもよく流れていたが、親父が一番好きだったのはクラシックだ。特にカラヤン指揮のベートーヴェンやホルストを自慢のレコードプレイヤーで嬉しそうに流していたのが印象深い。

クラシックギターも好きだった。ナルシソ・イエペス(Narciso Yepes, 1927-1997)の"禁じられた遊び"がお気に入りで、学生時代にはこの曲を弾きたいがために、特注のクラシックギターを購入して練習したらしい。しかし結局あまり上達しなかったようだ。このギターは私が中学3年の時に譲り受け、弦をアコースティックに張り替えてRandy Rhoadsなどを弾いていた。

当時の私はクラシックギターの良さが分からなかったが、歳を重ねて身に沁みるようになった。疲れて寝る前に暗い部屋で流すと、その物悲しくも優しい音色に癒された。一聴するとシンプルだが、よく聴けば、例えば"アルハンブラの想い出"の主旋律とトレモロを同時に弾いているなど超絶技巧に驚かされる。親父が挫折したのも無理はない。

病院で急逝した数日後、葬儀屋が親父の遺体を自宅に運んでくれた。冷房とドライアイスで冷たくなった親父が横たわる和室で、私は線香をあげた後に"禁じられた遊び"を流した。晩年認知症で記憶を無くした親父だったが、この曲を流すと懐かしんでいたものだった。聴こえていただろうか。



親父急逝

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7月17日。親父が急逝した。数日前までは全く元気だったのが、高血圧による脳梗塞であっけなく逝ってしまった。享年77歳。誕生日の目前だった。

親父は下町気質というか、非常にプライドが高く怒りっぽくて気難しい人だった。私もよくぶつかり、一時期はしばらく絶縁状態が続いた。

5年ほど前からは認知症になり、記憶というものがほとんどなくなった。それもあり私は離婚後に実家に戻ったが、記憶がないことによる言動や行動には大いに悩まされた。

しかし優しい面もあった。余計なことも沢山してくれたが、今思えばそれも家族を気遣ってくれてのことだった。

若い頃は山が好きで、私が子供の頃にはよく北アルプス等にも連れて行ってくれた。先日鳳凰山に登った時に使ったアイゼンも親父のものだった。これからも山に登る度に親父のことを思い出すだろう。

ありがとう。安らかに。

さようなら五郎さん

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俳優の田中邦衛さんが亡くなった。享年88歳、老衰とのこと。

それを知ってから何度目か分からないがまたDVDを借りてきてずっと観ている。とにもかくにも「北の国から」が大好きだった。もっとも初めて観たのは遅く2002年だったのを覚えている。

当時私は札幌に住んでいた。最初の会社を辞めて、一緒にベンチャーをやろうと札幌の友人にそそのかされて移住した頃だった。しかし結局仕事は上手く行かず、生活もままならず、人生の底辺を彷徨っていた。

そんな折、周囲の道民との会話に度々のぼるこのドラマが気になり観てみた。人生にもがきながら成長していく純と蛍。それを大きく包み込む五郎さん。蛍と正吉が五郎さんに結婚の報告をする場面での五郎さんには特にボロボロ泣かされた。そして車を飛ばして行って富良野の景色を見た時に、初めて北海道に来て良かったと思えたのだった。

ありがとう、さようなら、北海道の父さん。


Phil Spector 他界

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今年は年明けから訃報が続く。60年代の名プロデューサーPhil Spector (フィル・スペクター)が他界した。享年81歳だった。

真っ先に思い返されるのは"Be My Baby"のイントロだ。タメとエコーの効いたドラムの後に流れてくる目眩くような音の洪水。この1963年の名曲はRonnieの歌声とも相まり、当時のドリーミンなアメリカを象徴している。

バンドサウンドに分厚いコーラスやらブラスセクションやらストリングスなど、とにかく片っ端から音を積み上げるこのウォール・オブ・サウンドが与えた影響は大きかった。彼がいなければ、Brian Wilsonの「Pet Sounds」も、Leon Russelのスワンプロックも産まれていなかったと断言して良いだろう。

後年はドラッグや奇行が目立つようになり、しまいに殺人まで犯し収監された。こうした悪行で名声が傷ついたのはもったいないが、音楽史に残した功績は消えることはないだろう。
 
RIP


Tim Bogert 他界

tim

Vanilla Fudge・Beck, Bogert & Appiceのベーシスト・ボーカルTim Bogert (ティム・ボガート)が去る1月13日に亡くなった。享年76歳だった。

Vanilla Fudgeは本当に強烈だった。1967年にアメリカの東海岸からSupremesのカヴァー"You Keep Me Hanging On"でデビュー。原曲を叩き壊すような斬新なアレンジと派手な演奏が鮮烈で、アルバムは全米6位を記録した。

特にTimとCarmine Appiceのリズムセクションは強力だった。個人的にはCreamのJack Bruce & Ginger Baker、Jimi Hendrix ExperienceのNoel Redding & Mitch Michelleと並ぶ60年代の3強リズム隊だったと思っている。

2人はVanilla Fudge解散後にCactusを結成。さらにその後は念願だったJeff BeckとともにBeck, Bogert & Appiceを組み来日も果たしている。

Vanilla Fudgeはその後も何度か再結成をしているが、近年Timは体調不良のため参加していなかった。

RIP


Sean Malone (Cynic) 急逝

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Cynicの名ベーシストSean Maloneが12月9日に他界してしまった。死因は不明。享年50歳だった。

今年の1月にドラマーのSean Reinertが亡くなったばかりだったのに、まるでその後を追うようにMalone先生まで逝ってしまうとは…。

Malone先生は本当に素晴らしいベーシストだった。大学で音楽理論を教え、ジャズ・フュージョンにも精通し、フレットレスベースやスティックを自在に操った。デスメタルでもプログレでも彼のプレイは常に超絶技巧なのに流麗でメロディアスで知的だった。

結局2015年のCynicの来日公演が最初で最後となってしまった。Reinertとのリズムセクションは正に最強だったが、特に私はステージ左手で5弦のフレットレスを涼しい顔で指弾きするMalone先生のプレイに終始釘付けだった。

終演後に私は撤収作業をしているMalone先生にお願いして写真を撮らせて頂いたのだが、無理を言ったにも関わらず微笑みながらポーズを取って下さったのが今でも忘れられない。

嗚呼何故…

RIP


エディ・ヴァン・ヘイレン他界

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エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen, 1955-2010)が去る10月6日に咽頭癌で他界してしまった。享年65歳だった。

私達が少年だった頃、エディは文字通りヒーローだった。私も下手糞なくせにライトハンド奏法を真似したがものにならなかった。一方私にエフェクターを高く売り付けた悪友は、文化祭のステージで"Running With The Devil"を見事に弾いていて感心した。エレキギターを手にすれば皆エディになりたがった。短髪になった時は驚いたが

幅広いジャンルのミュージシャン達から膨大な数のお悔やみがネット上に上がっている。功績もさることながら、彼の気さくな人柄によるところも大きいのだろう。

RIP

UFO 「Phenomenon」 (1974)

現象
UFO
ワーナーミュージック・ジャパン
2014-01-29


1. Oh My
2. Crystal Light
3. Doctor Doctor
4. Space Child
5. Rock Bottom
6. Too Young To Know
7. Time On My Hands
8. Built For Comfort
9. Lipstick Traces
10. Queen Of The Deep

UFOのオリジナルメンバーだったベースのピート・ウェイ(Pete Way, 1951-2020)が去る8月14日に他界した。2ヶ月前に心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。享年69歳だった。

ピートがいた頃の初期のUFOが大好きだった。特にこの3枚目の「Phenomenon」は擦り切れるほどに聴いた。まずはやはりM3、疾走感の素晴らしい名曲で、Iron MaidenもライブのオープニングSEで使用していた。また間奏がカッコ良いM5やロック然とした冒頭M1も代表曲だ。

しかし私が好きなのは、むしろこれら以外の曲なのだ。物哀しいM2やM4やM10、穏やかなM6やM7やM9など、どれもポッカリと穴の空いた心で青い空を眺めている感じと言えば良いだろうか(このヒプノシスのジャケットとは少し意味合いが違うのだが)。マイナーな曲が全て秀逸な出来で、それがこのアルバムをより名盤たらしめている。マイケル・シェンカーのギターはアップテンポな曲でのリフやソロも勿論素晴らしいのだが、こうした静サイドでのアコースティックや哀愁の泣きも捨てがたい。フィル・モグのボーカルは正直あまり巧いとは思わないのだが、雰囲気に非常に合っている。

さてピートのベースに関しては、アルバムでは楽曲に合った良い味を出しているのだが、それほど強い主張をしているわけではない。むしろ彼が本領発揮したのはライブだった。フィルもマイケルも大して動かない一方で、ピートだけは所狭しとステージ上を動き回りポーズを決めていた。UFOの熱いパフォーマンスは彼による所が大きかったと思う。古き良き時代の象徴的なハードロックベーシストだった。

RIP


志村けんさん他界

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最近はほとんど観なくなったが、子供の頃はテレビが大好きだった。特に毎週土曜の夜は夕食を食べた後に家族で「8時だよ!全員集合」を観るのが習慣だった。

仲間内では同時間の「オレたちひょうきん族」の方が人気があったが、私は断然ドリフ派だった。中でも彼のコントは下ネタも多かったがいつも笑わせてもらい、数々のギャグを真似したものだった。

そんなドリフの象徴的存在だった志村けんさんが、3月29日に新型コロナウィルスのために急逝した。感染入院報道のわずか6日後、享年まだ70歳だった。

日本人にとって衝撃的な訃報だったが、隣国の台湾でも同様だったようだ。蔡総統が日本語で追悼メッセージを発信し、職場の台湾人の同僚も非常にショックを受けていた。

出身地である東村山の駅前には3本のケヤキが植えてある。東村山音頭で有名にしてくれた功績を称え市が植樹した「志村けんの木」である。訃報の報道後、駅前には沢山の人が献花に訪れていた。

有名人や身近に感じていた人を失って初めていよいよコロナの恐ろしさを痛感する。お願いだから早く終息して下さい。

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Sean Reinert (ex Cynic) 急逝

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元Cynicの名ドラマーSean Reinertが去る1月24日に他界してしまった。享年48歳だった。

Cynicは1993年に「Focus」というプログレッシブデスメタルの幻の名盤を1枚だけ残し解散した伝説のバンドだった。長い時を経て2008年に復活した後、2015年には初来日も果たした。しかしその直後にまた解散という話が出て、結果的にReinert抜きで存続することになった。

ライブで観た彼のドラミングは凄かった。手数足数は多く、変拍子なのにパワフル。Cynicの音楽は彼のドラムあってのものだと思っていたので、彼の脱退がつくづく惜しかった。 死因は不明ということだが、Paulとの仲違いがなければ、Cynicに残っていれば、死ぬことはなかったのだろうか。

RIP


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