富士山

富士山二ツ塚

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娘と2人暮らしを始めてから、1人で遠出をすることが難しくなった。そのため春休みに娘を実家に預けている隙にそそくさと山へ向かった。

今回は富士山の二ツ塚 (双子山)。富士山の御殿場側中腹の宝永山の下に、下塚(1,804m)と上塚(1,928m)が双子のように並んでいる。冬季の富士登山では今期も何度か遭難や滑落事故が起きていたが、この中腹にある二ツ塚はまだ比較的安全だ。天候次第だが。

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前日の夕方に須山浅間神社へお詣りした。ここも世界遺産の構成要素の一つとなっているが、ひっそりとしていて良い。

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前夜は水ヶ塚駐車場で車中泊をした。当日はあいにくの曇りで富士山頂は見えず。天気予報では晴れだったのにな。

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朝7:20に須山登山口(1,448m)から歩き始める。この日は近くの自衛隊演習場からドーンという砲撃音が終日鳴り響いていた。

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しばらくウラジロモミ等が生い茂る深い森をトラバースする。幹や岩にはコケがびっしり。シカもあちこちで走り回っていた。

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8:00に須山御胎内に到着。人体の胎内になぞらえた溶岩洞穴だが、崩落のため立入禁止となっている。

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ここから本格的な登りとなる。粉雪が舞い始めたが、逆に暑くなり汗をかいてきたため上着を脱ぐ。しばしフリードリヒのような幻想的な光景に浸る。

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幕岩は登り返しが辛そうなのでスルー。四辻あたりから本格的な雪原となりアイゼンを履いた。雪は深いところで30cm以上あるが、これでも少なくなった方だろう。

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9:20 二ツ塚下塚(1,804m)に到着。眺望は全くないが、真っ白い景色の中に立つ白い鳥居と石碑が幽玄な雰囲気だった。

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10:00 二ツ塚上塚(1,929m)に到着。こちらはかなりの急登のうえ、踏み跡もなかったため苦労した。幸い風もないため、ここで昼食を取る。

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下山ルートに迷いながら四辻まで降りてきた。振り返ると少し霧が晴れたため、ここで初めて今登ってきた上塚を拝むことが出来た。

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右には下塚も見えたので、せっかくだからもう一度下塚を登りに向かったが、着いた頃にはまた霧がかかってしまった。晴れていれば下塚から上塚・宝永山・富士山頂の三姉妹を拝めるのだが。またいつか来よう。

富嶽図10選

2月23日は富士山の日である。昨年は私がそれまで撮影してきた富士山の写真を10枚選んでみたのだが、今年は趣向を変えてみたい。

私は山の美術を眺めるのも好きなのだが、日本で最も多く描かれてきた山が富士山である。恐らく世界中でもここまで美術の対象となってきた山はないだろう。このことは富士山が世界文化遺産に登録された理由の1つでもある。

ということで、今日は私が最も素晴らしいと思う富嶽図を10枚挙げてみたい。

①15c_伝雪舟等楊『富士三保清見寺図』
① 伝雪舟 「富士三保清見寺図」15c
雪舟は日本の水墨画を完成させた巨匠。この三保松原からの遠景は富嶽図のプロトタイプとして後世に影響を与え続けた。

②16c_狩野元信_絹本着色富士曼荼羅図
② 狩野元信 「富士参詣曼荼羅図」16c
修験道として富士参詣は人気を集める。山麓の浅間神社から山頂の如来三尊までの山行が細かく描かれている。

③1799 司馬江漢〈駿河湾富士遠望図〉
③ 司馬江漢 「駿河湾富士遠望図」1799
いち早く洋画の手法を取り入れた司馬江漢の作品には江戸時代中期とは思えない写実性がある。医学や地図制作にも通じた奇才。

④1801_小泉檀山_富嶽写真
④ 小泉斐 「富士登岳図巻」1801
実際に自身で富士に登った上で制作した長大な図巻。大胆な構図と臨場感で、同時代の谷文晁もこれを模写している。

⑤1832_葛飾北斎_山下白雨 冨嶽三十六景
⑤ 葛飾北斎 「富嶽三十六景 山下白雨」 1832
間違いなく世界で最も有名な富嶽の巨匠。「富嶽三十六景」以外にも「富嶽百景」や肉筆画なども多数あり。

⑥18_歌川広重_隷書版東海道五十三次_原
⑥ 歌川広重 「隷書版東海道五十三次 原」1849
「東海道五十三次」が有名だが、広重も「不二三十六景」を描いている。画面からはみ出すほどの迫力。

⑦1896_富岡鉄斎_富士山図屏風
⑦ 富岡鉄斎 「富士山図」1898
文人画・南画の奇才。彼も富士に登頂しており、その経験を元に見事な六曲一双屏風に描いている。

⑧1918和田英作「富士」
⑧ 和田英作 「富士」1918
洋画の富士山なら和田英作は外せない。山麓に移住し後半生はひたすら富士に向き合った。穏やかな写実が特徴的。

⑨1925_不染鉄《山海図絵(伊豆の追憶)
⑨ 不染鉄 「山海図絵」1925
不思議な魅力の日本画家。伊豆諸島に暮らしたこともあり、伊豆の海中から日本海まで俯瞰する大胆な構図で描かれている。

⑩1942_横山大観_正気放光
⑩ 横山大観 「正気放光」1942
富士山で有名な近代日本画の巨匠。迫力のある見事な富士を描き続けたが、戦時中は国粋主義が色濃かった。

古来より現代まで富士の美術作品はとにかく膨大にあるため、たった10点を選ぶのには難儀した。もし好きな人がいれば、河口湖美術館やフジヤマミュージアムをお勧めしたい。

富士宮探訪

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少し前のことになるが、またしても富士山麓探訪として今度は静岡県の富士宮を訪れた。

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まず最初に行ったのは静岡富士山世界遺産センター。逆さ富士の建築が特徴的。ここは所蔵品の常設展示はないが、映像やモニターで様々な角度から富士山を学べる。

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この日の目的はその世界遺産センターで開催されていた「谷文晁X富士山  -山を写した時代の寵児-」。数は少ないが、初めてまとまった数の文晁作品を拝めて満足。

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続いては白糸の滝。さすが国の名勝だけのことはある。バックに富士山も入れて撮影しようとすると迫力が半減するが。

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田貫湖で富士の撮影。富士五湖に比べてマイナーだが綺麗な湖。静かな湖面にも富士山が映っていたが、なかなか山頂が晴れなかった。

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最後に本宮浅間大社へ。浅間神社の大元で深紅の建築が特徴的。でも富士吉田の浅間大社の方が見応えがあるかな。

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せっかくなのでご当地グルメB1グランプリの富士宮やきそばを食す。斬新な形をした富士山の絵が置かれていた。

富士山探訪はいつも山梨県側に行くことが多く、静岡県側はまだまだ未開拓。今度は三保や日本平も行ってみたい。

富嶽十景

2月23日は富士山の日。

私は富士山が大好きだ。端正な山容に現れる白青のコントラストは世界一美しい山だと思っているし、世界文化遺産になったようにここまで美術・文学・宗教といった文化全般に広く影響を与えた山もないと思う。

山など見晴らしの良い場所に登る時はいつも富士山を探して写真を撮ってきたが、今回は富士山の日にちなみ特に良かった十景を並べてみた。

1三ノ塔
① 三ノ塔
丹沢の表尾根からは大抵富士山が見えるはずが、いつもなかなか綺麗に撮れなかった。これは三ノ塔から。

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② 川和富士
以前よく登った横浜の丘の上にある小富士。いつも大山・丹沢・富士の三山の共演が愉しめた。

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③ 岩殿山
山梨県の大月市は山の谷間から富士山が良く見え、秀麗富士十景を制定している。岩殿山はその1つ。

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④ 大菩薩湖
山梨の大菩薩山塊からも富士山は良く見える。雁ヶ腹摺山からの富士山は旧500円紙幣にもなった。

6新倉山
⑤ 新倉山浅間神社
訪日外国人客のSNSから人気となった忠霊塔パゴダ。春に桜も咲くとザ・ジャパンな絶景となる。

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⑥ 河口湖 大石公園
河口湖畔では最もフォトジェニックな場所。団体旅行の行程にもよく入っている。

7田貫湖
⑦ 田貫湖
富士宮側から見ると大沢崩れが良く見える。田貫湖は富士五湖よりも静かで良い。

8富士宮六合目
⑧ 富士宮六合目
富士山の中腹から見るとなかなか山頂は見えず、富士山の大きさが良く分かる。

9菜の花台展望台
⑨ 菜の花台展望台
丹沢ヤビツ峠に登る途中にある展望台。立ち寄るだけの価値はある。

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⑩ 三国峠
山中湖に至る峠でオリンピックの自転車コースにもなっている。左肩に宝永山が良く見える。

三ツ峠山や三保の松原あたりも間違いなくランクインするべき場所だろうから、いずれ機会があれば行ったみたいものだ。

富士山麓探訪2

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先日また富士山麓を探訪した。この日の天気は快晴で、河口湖畔の大石公園からの富士山もよく見えた。

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秋に人気のもみじ回廊にも寄ってみたが、既にほとんど散ってしまっており一足遅かった。

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ミシュランにも紹介されている久保田一竹美術館。中には入らなかったが、庭園だけでも見事だった。

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昼は御坂峠の天下茶屋でほうとうを食べる。ここには2階に滞在していたという太宰治の記念館もある。

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この日の最大の目的は河口湖美術館で開催中の「没後70年 吉田博展」。木版画を中心に約200点展示されており見応えがあった。

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北口本宮冨士浅間神社にも行ってみた。この吉田登山口からいつか登ってみたいが、私の体力では無理だろうな。

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最後は富士山レーダードーム館。かつてこのレーダーを山頂に建設したのが当時気象庁の担当課長だった新田次郎。彼のコーナーには遺品や直筆原稿なども展示されていた。

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かなり駆け足で回ったのだが、まだまだ見たい所が沢山残ってる。いっそ移住してしまいたいものだ。

宝永山登山

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先週娘と富士山へ登ってきた。と言っても山頂はまだ無理なので、中腹にある宝永山を目指した。ここは1707年に大噴火のあった火口で、新田次郎の「怒る富士」を読んで気になっていた。

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まず裾野にある富士山資料館に立ち寄り、富士山についてお勉強。小さめだが結構見応えがあり、娘は富士山パズルにハマっていた。

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夏の富士宮口はマイカー規制のため、水ヶ塚公園に駐車してバスに乗り換える。シーズン終盤でも結構混んでいた。

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富士宮口五合目は完全にガスっていた。2400mの標高に慣れるため、ここで昼食を取りのんびり人生ゲーム。

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登山道を登り始めると、あちこちにこんな花畑が広がっていて、娘がしきりにデジカメを構えていた。オンダテという高山花らしい。

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この日泊まる六合目の雲海荘へ到着。部屋は半個室。山荘の方々も皆優しく、娘とオセロまでしてくれた。感謝。

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翌朝は気持ち良く晴れた。宝永山の方面から5:30頃に御来光も現れた。娘はどうにも起きなかったが。。

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前夜弾丸で登って行った人達が何人もいたが、富士山頂方面も良く晴れていた。

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六合目から10分程度で宝永火口縁に着く。前日行った時にはガスっていて何も見えなかったが、この朝は巨大な火口が見渡せた。

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火口底に降りるとその大きさが良く分かる。赤黒く固まった溶岩と緑の草地のコントラストが綺麗だった。

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宝永山頂(2693m)は意外に遠く、登山道も砂礫で非常に登り辛く娘は苦戦した。中腹まで登り断念。逆に下りは砂走りで早かった。

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下山後、御胎内温泉で汗を流した後、せっかくなので御胎内溶岩隧道に入ってみた。ヘッドライトで探険隊気分を味わえた。

本当は夏の星座観察という娘の夏休みの宿題目的もあったのだが、前夜は月しか見えず。でも日記のネタにはなったかな。

富士山麓探訪

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今月アメリカから従弟一家が来日している。従弟は生粋の日本人だが生まれも育ちもアメリカ。嫁さんは台湾人で、この間生まれた男の子は早くも2歳半になっていた。富士山に行ってみたいとのことだったので、車で観光案内をしてみた。

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まず行ったのは河口湖畔にある天上山ロープウェイ。太宰治の「カチカチ山」の舞台だが、子供に説明するには残酷な内容ではある。中国人団体でごった返していたが、なかなかの景観が楽しめた。

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ランチはほうとう不動東恋路店。ほうとうも旨いし、真っ白のかまくら風建築も面白い店である。

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食後は河口湖湖畔を走り大石公園へ行った。ここも河口湖を前景にした撮影ポイントである。この日は天気は良かったが、山頂の雲がなかなか晴れなかった。

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河口湖美術館に行こうと思っていたのだが閉館時間が早いため、代わりに富士急ハイランドにあるフジヤマミュージアムへ。ここも建築が面白く、新旧の富士山の絵画が楽しめた。

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最後は夕焼けを拝むために山中湖畔の三国峠へ登った。富士と山中湖と周辺の山々が静かに染まる雄大な景色を一望できた。

個人的には他にも色々行きたい所があったが、今回は自然と建築と美術の好きな夫婦のために行程を組んでみた。かなり喜んでもらえたので良かった。今度は富士山に登ってみたいということだったので、早く子供が大きくなるのを待っていよう。

「北斎富士 ~富嶽三十六景・富嶽百景 そろい踏み」

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すみだ北斎美術館の開館記念展Ⅳ「北斎富士 ~富嶽三十六景・富嶽百景 そろい踏み」を観に行ってきました。

この美術館は以前アメリカの友人が観てきて期待ほどではなかったと言っていました。確かに常設展は葛飾北斎のことを理解するには良いですが、作品は少なめでしかもレプリカのみ。美術を堪能したい人には物足りないでしょう。

しかしこの企画展は全て本物。4Fの中央には朝焼けの赤富士を描いた有名な「凱風快晴」が鎮座し、その周囲には「富嶽三十六景」がずらり。期間を分けての展示なので全てではありませんでしたが、それでも壮観でした。また3Fには趣きの異なる「富嶽百景」もずらり。アメリカの友人にも見せたかったものです。

武州(東京)や相州(神奈川)など馴染み深いこの近辺の当時の様子、またそこからどのように富士が見えていたかなど、人々や情景がいきいきとしています。また色んな隙間に富士を置く構図も面白いです。

北斎は90年の生涯で様々な作品を描き続けましたが、最期まで自身の絵に満足しなかったそうです。しかしその人気と影響はフランス印象派にまで与えるほどに大きく、また私の好きな風景画家のルーツとしても偉大過ぎる巨匠です。


富士山



先日富士山が世界文化遺産に登録されることが決定したということで、だいぶ話題になっていた。これを受けて私も今日は富士山に関することをダラダラと書いてみることにする。

そもそも自然遺産登録に失敗したことから、文化遺産登録へ方向転換という力技でのうっちゃりだったが、いずれにせよ日本人にとって富士山がどれだけ特別なものかを証明したわけである。だがそれは何も日本人だけの話ではない。私は普段仕事でインバウンドの旅行業に携わっているわけだが、日本に観光で来日してくる外国人にとっても、富士山は特別な存在である。関西の一番人気は京都である一方、関東では世界遺産になる前から富士山がダントツだった。

では何故外国人にそんなに富士山が人気あるのか?それはあの独立峰の頂きとそこにトッピングされた雪のコントラストが描く神秘的な美しさである。しかしそのイメージが強いあまりに誤解もある。以前私は夏に富士五合目に上がるツアーを手配した外国人客から運行終了後にクレームを受けた。話を聞くと、雪化粧をした美しい富士山の写真を取りたかったのに、連れて行かれたところにはどこにも雪がなかったというのだ。いやいや、そもそも雪があったら五合目なんか上がれないんですけど…。ただしかし彼らも雪のない富士山の姿を見たことかないので、そう思うのも無理はない。なのでそれ以降うちのパンフやサイトには、「There is no snow on the top of Mt.Fuji in summer season.」という但し書きを足している。

しかし富士山の本質というのは、その夏の雪のない五合目から先の世界にあると思っている。もともと私は山登りが好きなので、以前高校の教員をしていた時代にも富士登山を企画したことがある。ちょうど4年前の今頃、生徒の中から有志の男子生徒ばかりを集め、事前に装備の講習やハイキング訓練などを行い準備した。そして当日、五合目までバスで送ってもらい、掛け声をかけてから登り始めた。しかしこれが思ったよりもキツい。何しろ登山道はただひたすら登りで、周囲の景色も全く変化なく、どこまでも瓦礫。気分は完全に修行僧。遠目では優美な富士山も近くで見ると荒々しい火山の様子を呈している。ようやく辿り着いた八合目の山荘は大混雑で全く寝た気もしない。それでも耐えて登り続けるのは、全ては御来光のためである。

しかし真夜中に九合目まで登った時に、生徒の一人が頭痛を訴えた。高山病である。そして引率たるもの生徒を一人残すこともできないので、もう一人の先生に本隊はお願いをし、私は泣く泣く彼を連れて八合目まで下山することにした。八合目まで降りた時には彼はすっかり元気、でももう登る気はないという。仕方なく私は彼とそこで夜を明かし、御来光を迎えたが、それは息を飲むほどに美しかった。ただその後降りてきた本隊に聞くと、山頂の御来光と達成感は比ではなかったようだった。

「残念」という言葉通りに、富士山の九合目には私の「念」が「残」っている。いつか必ずその「念」を迎えに行き、山頂まで連れて行ってあげることが、私の務めである。


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