山と旅

真鶴・伊豆探訪

先日娘と行ったキャンプの前後で少し観光もした。どこもそれほど人も多くなくて安心したが、酷暑の中マスクをするのは辛かった。

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真鶴岬の先にある三ツ石。干潮時は歩いて渡れるのだが、娘が暑がってしまい断念。

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ケープ真鶴にある遠藤貝類博物館。世界中の珍しい貝・巨大な貝の数々に思いのほか娘は楽しんだ。

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伊豆半島の尾根を縦断する伊豆スカイライン。有料だが絶景が楽しめる気持ちの良いワインディングロード。

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伊豆高原にある「まぼろし博覧会」。かなり古く猥雑な博物館なのだが、古今東西の怪しい品物が所狭しと並び、知見と恐怖を味わえた。

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山がちな伊豆半島の中でも特に気になっていた大室山(580m)。火山による綺麗な緑の円錐形で、怖がる娘をリフトに乗せて登る。

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思ったより火口は大きく、下界を見下ろしながら山頂を目指してぐるりとお鉢巡り。遠くに伊豆最高峰の天城山(1,405m)も拝めた。

根府川キャンプ

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今年はコロナのために娘の小学校も夏休みは2週間のみだった。日頃どこにも連れて行ってやれず、アウトドアならまだ安心かと思い、根府川の海岸沿いにあるオートキャンプ場「なみのこ村」へキャンプに行ってきた。

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実は私自身もキャンプなんてボーイスカウトだった子供の頃以来。テントもビーチ用のしょぼいものしかなく、お隣のデカいファミリーテントに比べると少し恥ずかしいのだが、いいのだ寝られれば。

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日差しが強かったが、キャンプ場は松の木陰で涼しい。木のブランコを見つけ早速に風になる娘。

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残念ながら海は遊泳禁止になっていたので、波打ち際で少しだけ遊ぶ。打ち上げられた石はみんな綺麗に丸くなっていた。

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夕食はバーベキュー。コンロから食材まで一式貸してくれるので非常にお気楽。炭に火をつけて、肉や野菜を焼いて最後に焼きそば。日頃料理などしない娘も積極的に手伝ってくれるので、私はビール片手に一休み。

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日が暮れたら海辺で花火。これもマンション住まいだとなかなか出来ないので喜んでいた。最後は線香花火で締め。

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海の向こうからは日の出ならぬ満月の出が綺麗に海面に映り幻想的だった。しかし夜に岸壁に寄せる波の音はドドーと予想以上に大きく聞こえ、夜中に目が覚めた後はなかなか寝つけず困った。

そんな感じで初の試みは期待以上に上手く運んで安心した。次回は山か湖か、場所を変えてまたやってみたい。

土方歳三を訪ねて

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東京都日野市が誇るヒーローが土方歳三(1835-1869)である。新選組の副長として幕末の動乱期に活躍した彼は日野の生まれであり、市中には多くのゆかりの地がある。昨年は没後150年として市を上げて多くのイベントも催されていたらしい。今回は往時に想いを馳せながら、ゆかりの地を訪ねてみた。

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石田にある生家には6代目子孫が館長をされている土方歳三資料館がある。愛刀 和泉守兼定をはじめ、鎖帷子や自筆の句集など様々な遺品が展示されている。

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生家は代々石田散薬という製薬業を営んでおり、歳三も若い頃行商に回っていた。また庭先には大志を込めて植えた矢竹が今も茂っている。

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甲州街道沿いにある日野宿本陣は都内で唯一現存する宿場本陣。当時の名主 佐藤彦五郎が天然理心流の道場を開き、ここで歳三は近藤勇や井上源三郎、沖田総司らと出会い、新選組結成へとつながっていく。

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日野市役所近くにある新選組のふるさと歴史館。地域の歴史や新選組の通史、天然理心流の型の説明や企画展など展示が豊富。

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生家近くの石田寺には土方家代々の墓の中に歳三の墓と顕彰碑がある。埋葬されたのは戦死した函館だが、平成17年に埋葬伝承地の土が持ち帰られた。

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菩提寺であった高幡山金剛寺には、死後銅像と慰霊碑が建てられた。ただこの銅像はハンサム過ぎるが。奥殿には自筆書簡などが展示されている。

小説や漫画などで描かれることも多くファンは多いようだ。しかし元々薩長などの明治維新側から見れば、新選組や土方歳三らは賊軍にあたる。日野市民にとっては明治維新150年も違う捉え方だっただろうと思う。

三国峠・生藤山

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先日の陣馬山から見えた生藤山。山と渓谷誌に連載されていた「奥多摩 山,谷,峠,そして人」にも富士山の眺望が良いと記載されていたので、次の目標としていた。

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今回は軍刀利(ぐんだり)神社からのルートにした。社務所の駐車場に車を停め登山開始する。

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まずは長い石階段を登り、軍刀利神社にお詣りする。この神社は創立1049年で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭神としている。軍神として武田信玄など多くの武門から崇敬を集めたらしく、巨大な木刀が祀られていた。

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奥に建てられている古い木造の本殿がまた立派で、壁面には見事な木彫りも拝める。

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さらにしばらく進むと軍刀利神社の奥の院に辿り着く。ここの神木である大桂は天然記念物に指定されている。その巨大で異様な樹形は確かに神の存在を感じさせる。

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杉林の登山道をしばらく登り続け、杉林から雑木林に変わった後に、明るい稜線へと出た。

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稜線を左に少し登ったところに最後の軍刀利神社の元宮がある。昔は奥の院から石階段が続いていたらしい。

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稜線を折り返しダウン&アップした後に三国山山頂(960m)に到着。昔からここが武州・相州・甲州の三国が交わる峠となっている。

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最後の急登を登りつめ生藤山山頂(990m)に到着した。しかし富士山どころか眺望など全くない。ま、今回は軍刀利神社で満足だ。

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下山中に沢で休憩していると、突然黒い動物に襲われて驚いた。良く見ると大型犬のラブラドールで、人懐こく何度も戯れつかれて泥だらけに。どうやら散歩に連れて来たら逃げ出したらしい。後から来た飼い主に平謝りされたが、可愛かったので良しとしよう。熊じゃなくて本当に良かった。


陣馬山

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先月、緊急事態宣言解除を受けてひとまず近場の山を目指すことにした。陣馬山は高尾山から連なる山脈の奥に位置する人気の山で、山頂に有名な白い馬のモニュメントがある。当初高尾山からの縦走を考えていたが、山頂直下からサクっと登れるコースを発見してしまった。

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車道で行ける和田峠が今回の起点となる。峠の茶屋に駐車場代800円払わなければいけないが便利。

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緑の中の階段を20分ほど登ると

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すぐに山頂の草原が開けてきた。こんな楽で良いのだろうかと後ろめたく思ってしまうほどだ。

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陣馬山山頂(857m)に到着。これが見たかった白い馬。色々な角度から撮ってみたが、この向きが一番しっくりくる。

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山頂直下にある清水茶屋。暑かったので冷たい刺身こんにゃくと藤野ゆずシャーベットを頂いたが、これが最高に美味かった。

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山頂からは全方位の眺望も拝める。この日は富士山は見えなかったが、丹沢や奥多摩は良く見えた。今回は楽をし過ぎたので、いずれ縦走でまたここに来よう。

高幡不動尊

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東京都日野市の名所といえば高幡不動尊がある。正式名は高幡山明王院金剛寺。弘法大師(空海)を宗祖とする真言宗智山派の別格本山である。高幡不動は子供の頃から何度も行ってるが、特に6月の紫陽花で有名なので訪れてみた。

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室町時代に建立された仁王門は重要文化財に指定されている。左右の仁王様はどちらも白いマスクを着用していた。

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1335年建立の不動堂も重要文化財で、時折読経と太鼓の音が聴こえてくる。五重塔は最近の再建だが、遠くからでも見える不動尊のシンボルである。

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新選組の土方歳三は日野の出身であり、彼の菩提寺となっているため、銅像や慰霊碑が立っている。

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奥殿には平安時代の丈六不動三尊(重要文化財)や、土方歳三の書簡など様々な貴重な寺宝が展示されている。

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境内の一番奥の大日堂では、鳴り龍や日本画家 後藤純男の襖絵なども観ることが出来る。

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境内には200種7500株の色とりどりの紫陽花が咲き乱れており、見事なものだった。

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特に多いのは山アジサイ。実は花びらに見える周りの部分はガクであり、中央の小さいのが花にあたる。

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広い高幡山内は八十八ヶ所巡拝路になっており、88体のお地蔵さんがひたすら並んでいる。これを全部回ると結構なハイキングになった。

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高幡山頂は一帯が見渡せる見晴台になっている。中世の頃にはここに高幡城本丸があったと伝えられている。

どうやら今年に入って日野市の財政破綻が明らかになったらしいが、こうした市中の名所がもっと広くアピール出来たら良いのにと思う。

「武蔵野の日々」

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Ⅰ散歩から
  魅力
  光華殿の一夜
  平林寺
  流れ
  六郷用水
  泉の四季
  野の寺
  釣鐘池
  夏の終わり
  並木の村
Ⅱ木立のほとり
  生誕
  嵐の翌日
  けやき
  公園道路第一号
  むぎかり唄
  金色の夕
  野の墓地
  お祭
  酒場の詩
Ⅲ本棚から
  河畔の万葉歌碑
  武蔵野の文学
  独歩と武蔵野
  蘆花とみすずのたはごと
  地名考むさし野
  むらさき探訪

東京都の中央部、清瀬から世田谷あたりは昔から武蔵野と呼ばれていた。この地域の興趣は万葉集の時代から多くの文学や美術に著されている。しかし戦後の高度経済成長期における開発により、今やその面影はほとんど残されていない。本書は失われる直前の武蔵野の姿を伝える貴重な記録である。

1962年、著者は国木田独歩や徳冨蘆花に感銘を受け狛江市に移住する。そこで技術者として勤続する傍ら、休みの日は武蔵野の地をくまなく歩き続けた。ケヤキや樫の林と野と田畑が交互に広がり、その合間を谷や川が走る。そしてそこに農家や民家の村や町が点在する。秋の麦畑で刈り入れる農夫。木陰の泉で野菜を洗う老婆。色鮮やかな自然と素朴な人々の生活が溶け合う。こうした牧歌的な風景が紀行文、エッセイ、詩、写真といった様々な表現を通じて情感豊かに綴られている。

さらに著者は古典から近代にかけての武蔵野にまつわる文学研究や、武蔵野という地名の由来の考察、かつて自生していたという名草むらさきによる染め物の研究など、多角的な検証も行っている。実際に染めた紫の片布も挿し挟む遊び心も趣深い。

実はこの著者が今のギャラリーコンティーナの社長さんである。川崎の森のギャラリーが2018年の暮れに閉館したが、昨秋にめでたく横浜市青葉区で復活された。今春に武蔵野をテーマにした絵画展を開催されていて、その際にこの著書を貸して下さった。1967年に自費出版された本書は既に絶版だが、実に武蔵野愛に溢れる名著だった。私の美術の先生は武蔵野の先生でもあったのだった。

夜叉神峠

緊急事態宣言が出される前の3月下旬に夜叉神峠へ登っていたのだが、宣言発令後は山行記録をアップするのも躊躇われていた。ようやく宣言解除となったのでアップする。

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都内にある私の勤め先のビルの屋上からは、冬の晴れた日には南アルプスも拝むことが出来るのだが、春になるにつれ空気が霞み見えなくなってしまった。雪化粧をした南アルプスの白峰三山を間近で見たくなり、山梨の夜叉神峠へ登ることにした。

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向かう途中の山肌に春らしくポツポツと桜が咲いていた。街中の並木や公園の桜よりも、こうした自然の桜の方が断然良い。

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芦安にある南アルプス芦安山岳館に立ち寄ろうと思っていたのだが、残念ながらコロナ の影響で休館だった。

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南アルプスの入口である夜叉神トンネルは冬季閉鎖中。ここから登山開始。

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約1時間ほどの急登。振り返ると遠くに甲府盆地が広がっていた。

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ほどなく夜叉神峠(1,770m)に到着。まだ残雪のある峠からは絶景が広がっていた。

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右から北岳(3,193m)・間ノ岳(3,190m)・農鳥岳(3,026m)。国内標高第2位と第3位が連なる様は見事。いつかあの稜線を歩きたいものだ。

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麓の御勅使川の氾濫を繰り返す夜叉神の怒りを鎮めるために建てられたという石の祠。

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芦安には食べるところがどこにもなかったため、街中まで降りて山梨名物ほうとうを食して帰った。

平山季重公を訪ねて

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最近は外出自粛によりあまり出掛けることが出来ないので、近所の散歩くらいで我慢をせざるを得ない。しかし私が今住んでいる日野市平山という地域は歴史も自然も豊かであり、徒歩圏内でも結構見所はある。そもそもこの地名は、平安時代末期の源平合戦で活躍した武将 平山季重公に由来する。今回はその季重公を訪ねる散策をしてみた。

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起点は京王線平山城址公園駅。ここにかつて季重公の居館があったということで居館跡碑と季重公霊地碑が立っている。

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同じ駅前にある平山季重ふれあい館。季重公についてのパネル展示があり、併設の平山図書館には多く資料が所蔵されている。

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駅前から数分歩くと宗印寺という立派な寺がある。ここに平山季重墓があり、東京都の旧跡に指定されている。

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またこの宗印寺の境内には季重公の木造座像も鎮座している。源氏勢で戦功を収めたが、晩年は仏門に帰依したらしい。

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宗印寺の脇から多摩丘陵の山道を登っていく。コナラの新緑やウグイス・ガビチョウ等の小鳥のさえずりが気持ち良い。

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しばらく登ると急に展望が開ける。日野や八王子の街並の向こうには、富士山や奥多摩の山並みが広がる。

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さらに山道を登る。稜線に出るとそこにひっそりと平山季重神社が立っていた。小さいが趣き深い山社だ。

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この先に都立平山城祉公園がある。季重公の見張所があったらしいが、今は特に城跡は残っていない。

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ただ結構広い自然公園で、園内には季節によって桜やコブシ、レンギョウにヤマツツジなど様々な花が楽しめる。多摩丘陵の稜線を辿れば南平や高幡不動まで行くことも出来るので、一日楽しむこともできるだろう。

深田久弥 「雲の上の道」

第1章 出発まで
第2章 カトマンズまで
第3章 ベース・キャンプまで
第4章 ジュガール・ヒマール
第5章 ランタン・ヒマール
第6章 帰途
第7章 後日談

新型コロナウィルスの猛威が収まる気配を見せない。小池都知事の外出自粛要請を受けて、やむなく今週末は祈るような想いで引きこもっている。やることと言えばもっぱら沢山の読み途中になっていた本達の続きを読むことだ。これもその中の1冊。

恐らく現代の日本の山好き達に最も多大な影響を与えた作家と言えば、「日本百名山」を書いた深田久弥だろう。日本中の山々をくまなく登り、登山史とともに格付けをした「日本百名山」は山好き達の教科書となっている。

その深田久弥が1958年にヒマラヤにも登っていたことはあまり知られていない。結局どの山にも登頂できていないことが理由だろう。槙有恒隊がマナスルに初登頂した2年後のことだ。これはその時の紀行文である。

それまで彼は世界中の資料を掻き集めヒマラヤ登山史などの著書を2冊も書いており、ヒマラヤへの憧れは相当なものだった。しかし当時は海外の山へ行くことは容易なことではなかった。彼の登山隊は作家深田・画家山川有一郎・写真家風見武秀・医師古原和美からなり「Artist Alpine Club」と名付けられたが素人部隊に過ぎない。資金も支援もない。まずはその苦労が克明に綴られている。

コンテナ37箱にもなる物質を調達し、大勢の見送りを受けて何とか神戸港から出発する。海路を1ヶ月かけてインドのカルカッタまで、そこから灼熱の陸路を2週間かけてようやくネパールのカトマンズに到着する。そこで待っていた3人の有能なシェルパと80人のポーターと合流した。

目指したのはジュガールヒマールとランタンヒマールだった。8000m峰はないが、未踏峰の7000m峰が多く残るこの地域で、あわよくば初登頂できればという考えだったのだが、あいにく天候や予算等の都合により断念する。

しかしこの紀行文が面白いのは、よくある登頂記録には割愛されている麓の自然や村人達の生活が活き活きと描写しているからである。ヒマラヤの麓に色とりどりの花々や多様な木々が植生していることは知らなかったし、村人達の陽気さや信心深さも興味深かった。

2ヶ月に渡る山行中、深田隊長はいつもしんがりを山川氏と遅れて歩いて見事な山容を眺めたり、部落で一緒に踊ったりと、非常にのんびりした陽気なムードが漂っていた。私もヒマラヤに登頂することは出来ないだろうが、いつかこんなトレッキングに行ってみたいものである。コロナが収束したら。。
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