山と旅

茅ヶ岳登山

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今年は深田久弥の没後50年に当たる。彼は1971年3月21日に山梨の茅ヶ岳を登山中に急に脳卒中を起こし亡くなった。その節目を弔うべく先月末に茅ヶ岳へと向かった。

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深田記念公園にある記念碑。刻まれているのは「日本百名山」の一節「百の頂に百の喜びあり」。

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9:10 登山開始。しばらくはウグイスやヤマガラなどのさえずりを聞きながら明るくなだらかな路を行く。新緑が柔らかい。

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そこかしこにこの黄色いダンコウバイが咲き乱れていた。マメザクラも咲いていた。

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女岩は行く手を遮って聳え立っている岩壁だったが、落石のため近寄れず。右に巻くがここから急登の始まり。

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ようやくコルへ出てから少し登ると深田久弥先生終焉之地碑が立っていた。こんな山頂目前で倒れたのか。当時の同行者の悲しみと遺体担ぎ降ろしの苦労を思う。

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見晴らしの良い茅ヶ岳山頂(1,704m)に到着。北側には金峯山(2,599m)がよく見えている。

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南側にはまだ白く雪を残した甲斐駒ヶ岳(2,967m)や仙丈ヶ岳(3,033m)、鳳凰山(2,841m)なども拝むことができた。

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西側にはお隣の金ヶ岳(1,764m)の向こうに八ヶ岳(2,899m)が連なる。金ヶ岳まで登るつもりだったが、暑い中登り返しが辛そうで断念。

茅ヶ岳は標高こそ高くはないものの、全方位望める独立峰で久弥が百名山に入れたがった理由も実感できた。誰よりも山を愛し、山好きに囲まれながら山で死んだ彼は、きっと幸せな最期だったことだろう。

大室山 (北丹沢)

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北丹沢にある大室山(1,587m)は眺望が良くないと聞いていたので、元々登るつもりはなかった。しかし多摩地区の私の住む地域では富士隠しと呼ばれているらしく、三角の山様が富士山を隠すように聳えているのがいつも見える。この山様と呼び名を知ったからには、登らざる得なくなった。

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本当は神ノ川から犬越路経由で登りたかったのが、あいにく土砂崩れで通行止め。そのため道志村の野原吊橋渓谷遊歩道駐車場から登ることにした。7:30登山開始。

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まず最初に野原吊橋を渡る。50m位の高さがあり結構怖い。この辺の深い渓谷には大渡吊橋や久保吊橋など吊橋が沢山掛かっている。

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このルートは登山マップにも載っていないバリエーションルート。登山者はほとんどおらず、登山道などないに等しい。

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ピンクのテープのみを頼りに登るのだが、次のテープが見当たらない。散々探し回った結果、枯れ沢の対岸のかなたにようやく発見。

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ようやく明るい尾根道に出る。相変わらず人の痕跡はない代わりに、シカの足跡を見つけてほっこり。ウサギの足跡や糞も散見した。

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大渡との分岐点で初めて標識を発見し安心する。茅ノ尾根で標高1,131m。ここまでで登山開始から既に2時間半経過。

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標高1,200mあたりから残雪が出てきた。凍った雪を避けようとしたが、枯葉の下も氷だった。しかしアイゼンは結局装着せず。

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標高1,400mあたりではブナの原生林が広がっていた。初夏は見ものだろうが、その頃はヒルの連中がいるだろうな。

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12:15に大室山山頂(1,587m)に到着。ルートファインディングと雪道に苦労し、小休止も含め4時間45分もかかってしまった。

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山頂は眺望が良くなかったが、山頂で会った方に教えて頂き、西の肩を少し下ったところで、富士山や南アルプス・蛭ヶ岳などを拝むことが出来た。

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13:10下山開始。最後の登山道不明の急斜面を滑りながらトラバースしたのが一番キツかったが、16:00に駐車場帰着。日の入りがもっと早かったら危なかった。結局山頂以外では誰にも会わず。このルートはとてもお勧め出来ないな。

南極・北極科学館

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東京都立川市に南極・北極科学館というところがある。ここに行ったのはコロナ前なのでだいぶ前のことなのだが、それまではこんな場所があることは全く知らなかった。国立極地研究所が2010年に開館したものらしい。

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館内はそれほど広くないが、南極・北極の探査隊の歴史やこれまでの調査結果などが所狭しと展示されていた。

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初めて昭和基地から南極点まで到達した雪上車も展示されていた。

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アザラシやペンギンや珍しい極地生物の剥製や、オーロラシアター、昭和基地のライブ映像、触れる南極の氷などもあった。

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個人的に最も興味深かったのは、明治45年にアムンゼン&スコットと同時期に南極点を目指した日本の探検家 白瀬矗に関する展示だった。南極観測船「しらせ」の名前も彼にちなんでいた。日本人でそんな探検家がいたことすら知らなかった。

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最後に館外に出ると、あの映画「南極物語」にもなった第2次隊のタロとジロら15匹の樺太犬のブロンズ像が並んでいた。

生物学や地質学・天文学、温暖化など研究分野は幅広く、あちこちにある映像を見るだけでもゆうに1時間は超える。説明まで読むなら2〜3時間。しかも国立なので無料。これもっと広く知られるべきだと思う。

小仏城山・景信山

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ようやく緊急事態が解除される。この間は登山もなるべく控えていたのだが、1回だけ地元の山に登っていた。1月雪が降った翌日に初アイゼンを試してみたく近場の裏高尾へ向かった。

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10:00 裏高尾の景信山登山口に駐車して登山開始する。

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しばらく水音を聴きながら沢沿いに歩く。この路は旧甲州街道なのだが、往時の賑わいはない。日陰には昨日降った雪が少し残っていた。

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10:30 小仏峠(548m)へ到着。ここにかつて国境の関所があったらしい。明治天皇巡幸碑と三条実美の歌碑も建っていた。

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峠を少し登ったところから相模湖と富士山が見えた。今冬は富士山の雪が少なめだったが昨日の雪でようやくそれらしくなったようだ。

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尾根路を小仏城山へ向かう。頭上の杉の葉から雪溶け水がきらきらと小雨のように舞い落ちていた。

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11:00 小仏城山(670m)へ到着。高尾山(599m)の向こうに関東平野が見渡せた。あいにく茶屋はどこも営業していなかったが20分休憩。

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尾根路を折り返して12:20 景信山(727m)へ到着。少し急登があったが、結局アイゼンの出番は全くなかった。

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眺望は素晴らしく、先程登った小仏城山の向こうに丹沢も見渡せた。丹沢の主脈は少し雪化粧をしていた。

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ちなみによく知らないのだが、今話題の鬼滅の刃のキャラクターの1人がこの景信山出身らしい。大岳山や日の出山、雲取山の出身もいるようだ。随分渋い山もあるが、聖地巡礼する人もいるのだろうか。

山アートの旅(長野編)

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昨年の流行語大賞トップテンにはソロキャンプも選ばれていた。昨年夏に娘とキャンプをした時に味をしめ、同じ月に長野へもソロキャンプに行っていた。長野の安曇野から大町のエリアには、山に関する美術館や博物館がずらりと並んでいて、以前から行きたいと思っていた。

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安曇野山岳美術館。足立源一郎をはじめ、吉田博・原田達也氏などの素晴らしい山岳画を所蔵。熊谷榧さんの個展も開催していた。

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常念岳山麓にある須砂渡キャンプ場。素泊まり900円。蝶ヶ岳温泉も徒歩圏内。涼しくてセミも蚊もいない。花はサワギキョウ。

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烏川沿いに立つウエストン像。上高地のレリーフは有名だが、こちらは全く知られていない。

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田淵行男記念館。山岳写真家であり高山蝶研究家である氏の写真やスケッチが展示されている。槍ヶ岳山荘の穂刈氏らの写真展も開催されていた。

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大町山岳博物館。北アルプスの成り立ちや膨大な山岳生物の剥製、登山史の展示、飼育されているライチョウなど、予想以上に広くて午後一杯かけても全部見切れなかった。

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木崎湖キャンプ場。クマ出没警戒警報が出ていたり、夜雨が降ったりと大変だったが、翌朝は気持ち良く晴れトビが囀っていた。

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北アルプス展望美術館。ここで日本山岳画協会の史上最大規模の展覧会が開催されていた。F100号以上の作品がずらりと並び圧巻だった。

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北アルプスの山稜はずっと雲がかかっていて見えなかったが、代わりに緑の田の向こうに聳える有明山が印象的だった。また今年の夏もソロキャンプに行きたいがどうだろう。

富嶽図10選

2月23日は富士山の日である。昨年は私がそれまで撮影してきた富士山の写真を10枚選んでみたのだが、今年は趣向を変えてみたい。

私は山の美術を眺めるのも好きなのだが、日本で最も多く描かれてきた山が富士山である。恐らく世界中でもここまで美術の対象となってきた山はないだろう。このことは富士山が世界文化遺産に登録された理由の1つでもある。

ということで、今日は私が最も素晴らしいと思う富嶽図を10枚挙げてみたい。

①15c_伝雪舟等楊『富士三保清見寺図』
① 伝雪舟 「富士三保清見寺図」15c
雪舟は日本の水墨画を完成させた巨匠。この三保松原からの遠景は富嶽図のプロトタイプとして後世に影響を与え続けた。

②16c_狩野元信_絹本着色富士曼荼羅図
② 狩野元信 「富士参詣曼荼羅図」16c
修験道として富士参詣は人気を集める。山麓の浅間神社から山頂の如来三尊までの山行が細かく描かれている。

③1799 司馬江漢〈駿河湾富士遠望図〉
③ 司馬江漢 「駿河湾富士遠望図」1799
いち早く洋画の手法を取り入れた司馬江漢の作品には江戸時代中期とは思えない写実性がある。医学や地図制作にも通じた奇才。

④1801_小泉檀山_富嶽写真
④ 小泉斐 「富士登岳図巻」1801
実際に自身で富士に登った上で制作した長大な図巻。大胆な構図と臨場感で、同時代の谷文晁もこれを模写している。

⑤1832_葛飾北斎_山下白雨 冨嶽三十六景
⑤ 葛飾北斎 「富嶽三十六景 山下白雨」 1832
間違いなく世界で最も有名な富嶽の巨匠。「富嶽三十六景」以外にも「富嶽百景」や肉筆画なども多数あり。

⑥18_歌川広重_隷書版東海道五十三次_原
⑥ 歌川広重 「隷書版東海道五十三次 原」1849
「東海道五十三次」が有名だが、広重も「不二三十六景」を描いている。画面からはみ出すほどの迫力。

⑦1896_富岡鉄斎_富士山図屏風
⑦ 富岡鉄斎 「富士山図」1898
文人画・南画の奇才。彼も富士に登頂しており、その経験を元に見事な六曲一双屏風に描いている。

⑧1918和田英作「富士」
⑧ 和田英作 「富士」1918
洋画の富士山なら和田英作は外せない。山麓に移住し後半生はひたすら富士に向き合った。穏やかな写実が特徴的。

⑨1925_不染鉄《山海図絵(伊豆の追憶)
⑨ 不染鉄 「山海図絵」1925
不思議な魅力の日本画家。伊豆諸島に暮らしたこともあり、伊豆の海中から日本海まで俯瞰する大胆な構図で描かれている。

⑩1942_横山大観_正気放光
⑩ 横山大観 「正気放光」1942
富士山で有名な近代日本画の巨匠。迫力のある見事な富士を描き続けたが、戦時中は国粋主義が色濃かった。

古来より現代まで富士の美術作品はとにかく膨大にあるため、たった10点を選ぶのには難儀した。もし好きな人がいれば、河口湖美術館やフジヤマミュージアムをお勧めしたい。

鷹取山

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先週は名登山家の加藤文太郎について書いた。彼の出身は兵庫県だが、漫画版「孤高の人」では神奈川県横須賀の出身とされている。現代版の若き文太郎は、その横須賀の鷹取山でクライミングの修行を積む様子が描かれていた。私も少しボルダリングをかじった身としてこの鷹取山に興味を持っていたので、昨年秋に娘を連れて行ってみた。

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横須賀の街外れで、しばらく坂を登ると鷹取山公園に到着。展望が良く、横須賀の市街や海が見渡せた。

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少し行くと巨大な垂直の絶壁が聳え立っていた。昭和初期まで凝灰岩の採石場だったことから、このような奇観が出来たらしい。

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岩壁には無数の穴が空いてるが、これは全てハーケンの跡らしい。これまでどれだけ多くのクライマーがここに挑戦したかを物語っている。

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岩壁にはクライマー達がロープを張りながら果敢に攻めていた。ここでのクライミングには鷹取山安全登山協議会への登録が必要とのこと。私にはとても無理だが、見てるだけでも楽しめる。

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裏側の階段を登ると岩壁の上にある鷹取山(139m)山頂の展望台まで行けた。上から見ると足がすくむが、クライミングに成功した後にここから見ればきっと最高なのだろう。

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鷹取山には他にも見所がある。ルートから外れたところに無数にある仏像壁画群。古そうに見えるが昭和40年代とわりと最近のものらしい。

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そして山路をしばらく歩くと姿を現したのが磨崖仏。高さ9mもあるこの巨大な弥勒菩薩尊像も昭和35年の制作だという。

もっとも娘は岩壁も仏像も全く興味を示さずずっと早く帰りたがっていたので、全然ゆっくり見ることが出来ず。やっぱり1人で行くべきだったか。。

「新編 単独行」 加藤文太郎

新編 単独行 (ヤマケイ文庫)
加藤文太郎
山と渓谷社
2010-11-01





第1章 単独行について
 単独行について
 冬・春・単独行ー八ヶ岳/乗鞍岳/槍ヶ岳/立山/奥穂高岳/白馬岳
 一月の思い出 - 劒沢のこと
 僕の単独(富士・冬)
 私の冬山単独行
第2章 山と私
 私の登山熱
 山と私
 山へ登るAのくるしみ
 初めて錯覚を経験した時のこと
 冬山のことなど
 山に迷う
 穂高にて
第3章 厳冬の薬師岳から烏帽子岳へ
 初冬の常念山脈
 槍ヶ岳・立山・穂高岳
 厳冬の薬師岳から烏帽子岳へ
 槍から双六岳及び笠ヶ岳往復
 厳冬の立山、針ノ木越
第4章 山から山へ
 北アルプス初登山
 兵庫立山登山
 縦走コース覚書
 兵庫乗鞍-御嶽-焼登山記
 兵庫槍-大天井-鷲羽登山
 南アルプスをゆく-赤石山脈・白根山脈縦走
 山行記
 神戸附近の三角点
 冬の氷ノ山と鉢伏山
 春山行
加藤・吉田両君遭難事情及前後処置
後記(遠山豊三郎・島田真之介・加藤花子)

2度目の緊急事態宣言が発令中なので、休みの日は出来る限り外出を控えて、もっぱら読書に勤しむ。積み本というのだろうか、とかく読む本は常にある。

昭和初期の名登山家 加藤文太郎(1905-1936)。私が最初に彼を知ったのは坂本眞一の漫画「孤高の人」だった。これは実際の加藤文太郎の姿ではなく現代版のリメイクで、ボルダリングで頭角を現した彼が国内の高峰群を冬季単独行で制覇した後に、カラコルムのK2に挑むというストーリーだった。

その後に原作である新田次郎の名著「孤高の人」を読んだ。人付き合いの下手な彼が、一日で六甲山脈を全縦走したことを皮切りに、北アルプス等を冬季単独で制覇した末に、初めてパーティを組んだ北鎌尾根で遭難死したという内容。正に孤高という彼の山行に感銘を受けたものの、事実とは少し異なるということを知った。

そして行き着いたのが本人が書いたこの「単独行」だった。ここには彼自身による人間らしい飾らない言葉が綴られている。

文太郎は1905年に鳥取県浜坂の生まれだ。その後神戸で三菱造船の技師として働く傍ら、山歩きに目覚める。六甲山後の山行として本書ではその後の氷ノ山等の兵庫アルプスへの登山が頻出する。当地の各山を兵庫槍、兵庫乗鞍などと呼ぶあたりお茶目な一面を見せている。

憧れの日本アルプスに赴くようになってからは恐ろしい勢いで制覇していった。燕〜大天井・槍・穂高〜上高地〜乗鞍〜木曽駒を11日間で、戸台〜千丈〜甲斐駒〜台ヶ原〜八ヶ岳〜浅間山を5日間など、どれも単独行である。

夏期に全て制覇した彼はやがて厳冬期の山行へとのめり込んでいく。自ら登山経験を積む中で、行動食として甘納豆を常備したり、目出し帽を開発したりと工夫も重ねた。そして薬師岳〜烏帽子岳縦走や槍〜笠ヶ岳ピストンなど、充分な睡眠も取らずに夜通し踏破している。雪穴を掘って仮眠を取る際にも直前に温かいものを食べれば凍死しないと確信していたようだ。しかしとても常人は真似をしてはいけないだろう。

確かに彼は人付き合いが得意ではなかったが、決して常に孤独だったわけではなく、同じ山仲間と山行を共にすることもあった。しかし岩登りやスキーに苦手意識があったのと、彼の歩くスピードが人並み外れていたことから、必然的に単独行が多くなっていた。

昭和11年冬、文太郎は後輩吉田富久と北鎌尾根から滑落後に遭難し還らぬ人となった。新婚で娘も産まれたばかりだった。後記にある花子夫人の気丈な寄稿文が胸を打つ。

私自身も山行は基本的にいつも単独なので、この偉大な先人から学ぶことは多かった。しかし単独行に付き纏う危険については常に注意しなければならないという思いも新たにした。

大菩薩嶺

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今年の登り納めは奥多摩の鷹ノ巣山と思っていたが、想定ルートがあいにく通行止になっていたため、いっそ別の山塊を目指すことにした。いつも都心からは奥多摩山塊の左に同じ大きさの山梨の大菩薩山塊が見えているので、そこの最高峰の大菩薩嶺(2,056m)を目指した。もっともこの山は雲取山(2,017m)より高い割にずっと楽に登れる。まず大菩薩湖に立ち寄り山姿を拝みルートを再確認する。

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9:20 上日川峠に車を停めて登山開始する。天気予報に反して快晴だ。

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9:40 福ちゃん荘を通過。平日のため営業していなかった。

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唐松尾根というくらいカラマツが立ち並んでいるが、あいにくもう全て散ってしまっていた。

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しばらく登るとコメツガやトウヒといった常緑樹に変わる。歴史のある峠道の趣きがある。

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10:20 大菩薩峠(1,897m)に到着した。稜線上は冷たい強風の通り道となっており、体感温度は一気にマイナスとなる。

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東側を見ると今年登った奥多摩の山々が全て見渡せた。

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かつて「大菩薩峠」という歴史小説を書いた中里介山の文学碑が立っていた。

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賽の河原を通過する。ここだけ名前の通りものものしい雰囲気が漂っている。

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畳岩に到着。曇ってしまったが、大菩薩湖の向こうに鎮座する裾野を広げた富士山を拝むことが出来た。本当はここで昼食にしたかったが、あまりに寒くて先を急いだ。

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11:40 大菩薩嶺山頂に到着。ここは木立に囲まれているために眺望が全くない代わりに風を防げるのでここで昼食を取り下山した。

今回は周回ルートを辿ったが、直登すればもっと早く登ることも出来る。日本百名山であり絶景も堪能出来るのに、こんなに楽に登れてしまうので子供にもお勧めだ。

大聖寺~深田久弥を訪ねて

先日の福井探訪の際に1か所だけどうしても行きたいところがあった。「日本百名山」で有名な深田久弥が石川県加賀市の大聖寺の出身であり、町中にはゆかりの地が多くある。それらを訪ね歩くべく、1時間に1本しかない北陸線に乗って大聖寺駅へ降り立った。荷物を詰めた重い登山リュックを駅のロッカーに預けようと思っていたがロッカーがない。仕方なく背負いながら歩き始めた。

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まずは久弥の生家である深田印刷へ。彼の部屋も見学可能らしいのだが、この日はあいにく休館だった。

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続いて当日の目玉「深田久弥 山の文化館」。直筆原稿や愛用品の展示の他、膨大な山岳書籍が並んだ「九山山房」や、白山の写真・絵画公募展のギャラリーなど盛り沢山で、あっという間に時間が過ぎてしまった。

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大聖寺藩祖前田利治と菅原道真を祀った江沼神社。庭園が見事だったが、ここに久弥の文学碑もあった。

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大聖寺城があったという金城山。ここには日本百名山発刊50周年記念碑がある。あいにく曇のため久弥が愛した白山はこの日は拝めなかった。

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町西の山ノ下寺院群の1つ本光寺。ここに久弥の墓がある。何も看板などなかったが、帰りがけの女性が私の登山姿を見て声を掛けて下さり、墓まで案内して頂いた。感謝。

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全昌寺にある久弥の句碑。彼は九山という俳人でもあった。ここは松尾芭蕉ゆかりの地でもあり、芭蕉らの句碑も並んでいた。

大聖寺を歩いて痛感したのは、かつての城下町の風情が残り、古い町並みが趣深い。そして外敵から守るために寺社を集めたらしく、とにかく歴史のある神社仏閣だらけ。今回は時間がなかったが、九谷焼も有名で美術館もあった。しかし連休にも関わらず町中閑散としていた。これだけ観光資源があるのに何とももったいないと思った。
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