車・バイク

トヨタ博物館

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先日名都美術館に行った折、折角なので近くにあるトヨタ博物館にも寄ってみた。どうやら開館30周年ということで、今年4月にクルマ文化資料室がオープンしたばかりだった。

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まずはクルマ館へ。トヨタの歴代の車を見られるだけかと思っていたがさにあらず。世界初の1886年ベンツに始まり、世界中の自動車史を代表する名車約140台がずらりと並んでいた。

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キャデラックシリーズ60スペシャル (1938)
色々あった中で個人的に最も惹かれた一台。一度で良いから乗ってみたい。

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トヨダ AA型乗用車 (1936)
トヨタ最初の生産型乗用車。豊田喜一郎の情熱の結晶。この頃はまだトヨダだったらしい。

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トヨタ パプリカ UP10型 (1961)
18歳で免許取り立ての頃、レトロ趣向だった私が最初に乗りたいと思っていたのがこの車だった。結局親父のお下がりのカローラになったが。

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外では60年代の軽量スポーツカー、ホンダS800、トヨタスポーツ800、ロータスエリートの走行披露を行っていた。小気味良いエンジン音で軽快に走っていた。

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続いてクルマ文化資料室。約400点のカーバッジから今はなき膨大なメーカーの存在を知ることが出来る。

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カーマスコットも180点ほどあったが、特にルネ・ラリックは美術品と言って良い。

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ライセンスプレートは私もアメリカのものを50枚近くコレクションしていたが、世界各国のものは初めて見た。

結局半日では全く時間が足りなかった。車好きには堪らない場所である。また機会があれば来たいものだ。

消えてゆく名車たち

秋はツーリングのシーズンです。晴れた青空の下で紅葉の山々を見ながら走るのは最高です。もっとも最近天気は雨ばかりで、今日など台風が列島を北上中ですが。。

そしてバイカーにさらに悲しいお知らせが先日流れていました。かつて人気を博した名車たちの生産終了のニュースです。YAMAHA、KAWASAKI、HONDAの3メーカーで今回合計15車の生産修了が発表されました。その中で特に悲しいのが以下の4車。私自身が乗っていたわけではないのですが、どれも思い出深い名車ばかりです。


YAMAHA 「SR400」
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私が1996年に初めてバイクの免許を取った時に、最初に購入候補に上がったのがこれ。これぞ基本という1台。高校の友人も乗っていたし、シンプルでベーシックなヨーロピアンスタイルはカスタムもしやすそうでした。生産開始は1978年、40年近い歴史が幕を閉じます。


KAWASAKI 「ESTRELLA」
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SRの次に考えたのがこれ。生産開始は1992年で、ちょうど中古市場でも出回り始めていた頃。セパレートシートなどに見られるクラシック感が魅力的でした。結局当時はシングルの250がちょっと物足りなくなるかなと思って見送ったのですが、今こそ乗りたい1台でした。


YAMAHA  「DRAG STAR 400」
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思い切ってアメリカンにしようと思ったちょうどその頃に登場したのがコイツでした。当然まだ中古市場には出回っておらず、新車を買う余裕などなかったので、結局HONDA 「STEED」になるわけですが。当時のバイク市場にアメリカン旋風を巻き起こした功績は大きかったです。もう時代は終わったということなのでしょう。


HONDA 「MONKEY」
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私は「STEED」を買う前にはビジネスバイクYAMAHA 「YB50」に乗っていました。まだビジネスバイクが流行るようになり「YB-1」が出る前の頃。それを買う時に候補に上がっていたのがこの「モンキー」でした。小さいボディのくせに強烈な個性の持ち主。生産開始は1967年なのでちょうど半世紀50年で歴史の幕を閉じます。


どうやら9月から排ガス規制が強化されたらしく、もうそれに対応するための生産コストに見合うだけの売上の見通しが立たないのでしょう。最近はバイクの売り上げが急落しており、1982年には国内出荷台数300万台以上あったのが、昨年はもうその10分の1だとのこと。今回生産終了したラインナップの中には00年代に一世を風靡したビッグスクーターも含まれています。

最近の若者はバイクにも乗らない、車にも乗らない、ビールも飲まないらしい。時代が違うのか、おじさんにはもう分からないな。

河口湖自動車博物館

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先日は河口湖に行ってきました。富士山世界遺産センターや道の駅などにも寄りましたが、目当ては毎年8月しか開館していない河口湖自動車博物館。昔子供の頃に行った記憶があるのですが、それ以来ずっと気になっていて、私と同様に車好きの妻を連れて行ってみました。

入口ではシトロエンがお出迎え。中に入ると、1886年から1950年までのクラシックカーがずらりと並ぶホールAへ。ベンツ第1号から始まり、T型フォード、MG、ブガティ、ロールスロイスに、ダットサン、オオタなど、どれも丸みを帯びたボディがカッコ良く。ここに画像を上げられないのが残念。

初めて知りましたが、いわゆるクラシックカーという呼称は、ヘッドライトがフロントボディから外出しされている1945年以前の車のことを指すようです。

バイクもありました。インディアンのScootを始め、ローバーインペリアル、ダグラス、ヴィンセント、サンビームなど、今は亡きメーカーや聞いたこともないメーカーなど。かつてハーレーを国産化したという陸王も見ることが出来て大満足。

ホールBには1950年から90年代までの車が陳列。キャデラックやダイハツなどもありますが、ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェ、アルファロメオなどの歴代スポーツカーが中心。目玉は世界に10台しかないと言われる1991チゼータ16VTでしょう。

この博物館の車は元々は個人所有のコレクションだったらしいですが、とんでもない大金持ちです。今回は入りませんでしたが、隣には飛行館も隣接されていて、こちらは戦時中のゼロ戦などが展示されています。

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Harley Davidson 1942 Nucklehead

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5月は1年の中で最も好きな季節。暑くも寒くもなく、湿気もなく、適度に暖かく涼しい風が吹く。こんな季節は無性にバイクに乗りたくなるもの。車に飽き足らず、衝動的にバイクの免許を取ったのも、今からちょうど20年前の5月だった。今うちには昨年購入した50ccのジョルノしかないのだが、やっぱりこれでは物足りない。そこで今日は私の理想とするバイクを取り上げてみたい。

割と近所にあるハーレー専門店のMy Performanceさん。ここはハーレーの旧車が勢揃いしており、まるで博物館のよう。

そこにいた1942年のEL1000。通称ナックルヘッドと呼ばれていた名車である。最近のハーレーにも見られない、古き良きアメリカを彷彿させるこの上なく美しいフォルム。パーツ1つ1つもあるべき形状で収まっている。いつまでも眺めていても飽きない骨董美術品である。

私がかつて乗っていたホンダのスティードは、この頃のハーレーを真似てディープフェンダーやワイドハンドル、トゥームストーンテールなどにカスタムしていた。しかし本物は当然ながらそんなカスタムの必要など全くないわけだ。

さて、気になるお値段は、5,000,000円。円高に加えて、近年は投資目的で購入する人も増えているらしく、価格は年々上がっているらしい。乗りもせずに投資目的で買うというのもいかがなものか。もっとも私はとても手が出せるわけがないのだが、果たしていつか乗れる日は来るのだろうか。

ちなみにMy Performanceさん、最近本店が山梨に移転してしまった。遠くなってしまい残念だが、機会があればまた行ってみたい。

HONDA GIORNO

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うちの嫁が急に原付が欲しいと言い出した。この春保険会社に転職をしたのだが、外回りの営業の足として必要なのだと言う。最初難色を示したが、私も二輪は嫌いではないので、結局2人で探すことに。どうせ乗るなら気に入るものにしたいと色々口出しして、ホンダのジョルノに決めた。

ジョルノが初めて発売されたのは1992年。当時高校生だった私は定番のホンダDio SRに乗っていたが、出たばかりのそいつは少し気になる存在だった。あの頃はこうしたレトロなフォルムのスクーターは、イタリアのVespaというのがあったが、国産では珍しかったのだ。

2011年式の中古。走行距離約1,700kmで10万ちょっと。茶色というのもレトロっぽくて良い。夏は暑かったが、涼しくなるこれからの季節には気持ち良いだろう。

ただやっぱり痛感してしまうのは50ccの車体の軽さと、ギアチェンジのないこと。中型に乗っていた身にはどうしても物足りない。うずうず。

さようなら、STEED



先月3月は別れの季節ということで、今年もいくつか別れがありましたが、一番辛かったのがコレ。今からちょうど2年前、2010年3月に、愛車TOYOTA HILUX SURFとお別れをしたという記事をこのブログに書きました。あれから2年が経ち、今度はもう1台の愛車とお別れをすることとなりました。HONDA STEED 400です。

実はこのSTEED、5年ほど前から乗っていませんでした。家族が出来て、生活が完全に車中心になったことにより、バイクに乗る機会が全くなくなってしまい、さらに生活の中で節約もしなければいけなかったため、5年前に結局車検を通すことを止めてしまいました。しかしかと言ってすぐに捨てる気には全くなれなかったので、無理言って実家に置いてもらっていたのでした。それ以来5年間ずっと放置していたのですが、ここへ来て遂に親から捨ててくれという最終通達が来てしまったのでした…。

STEEDを買ったのは、私が20の頃、1996年の夏でした。当時私は長野県松本市で一人暮らしをする大学生で、前年手に入れた親からお下がりの乗用車TOYOTA COROLLAに飽き足りなくなってきた頃でした。実際それまでも2輪には乗っていました。高校1年から原付HONDA Dio SRには乗っていたし、それを事故ってオシャカにした後は、YAMAHA YB50というビジネスバイクに乗っていました。まだビジバイが流行って色んなモデルが発売されるようになる前のことです。ただビジバイが中途半端にギアチェンジが出来るというところに楽しさと物足りなさを感じるようになったというのが、中免を取りたいと思ったきっかけです。

そしてもう1つの大きな理由が、5月の風でした。1年で最も爽やかな風が吹く初夏は、私の最も好きな季節です。4月の段階では確かそれほど強い気持ちはなかったはずでしたが、その5月の風を感じた途端、居ても立ってもいられなくなり、気付いたら再び教習所に通っていたのでした。

大学の授業をさぼりつつ、数ヵ月教習所に通い詰め、夏には無事免許を取得しました。購入にあたっては、当時はまだインターネットはなかったので、足で探し回るか、中古バイク雑誌を読み漁るかという方法しかありませんでした。候補としては、SRやKAWASAKI ESTRELLAといったヨーロピアンネイキッド、もしくはYAMAHA BIRAGOのあたりのアメリカンにするかでした。そんな折り、東京あきる野にあるバイク屋で程度がよく30万ちょっとの中古の青いSTEEDが売りに出ているのを見つけました。そのスタイルと値段に惹かれ、日取りを決め、友人の女性に車で同行してもらい、はるばる東京に向かいました。

初めてSTEEDと対面し試乗。300kgという重量にやや取り回し辛さを実感。ハンドルはチョッパータイプのためさらに乗り辛く、ハンドルはすぐに変えようと決意。またマフラーは直管の竹槍マフラーだったため「ベタベタベター!」というかなりヤカましい音が鳴っている。しかし何よりもその加速と安定感、そして風を切る気持ち良さに即決し、毎月5万のローンを組むことにしました。

しかし大変だったのはその帰り道。友人の車に伴走してもらいながら、松本まで高速で帰らなければいけないわけですが、初めて乗る重量級バイクでいきなりロングツーリングなわけです。それだけでもかなりの試練だったのですが、高速に乗った直後、津久井のトンネルでいきなりエンスト。この時気付いたのですが、実はSTEEDにはタンクメーターが付いていなかったのです。仕方なくその重量バイクを押して高速を降り、津久井の山道を必死に上下して、やっとこさガソリンスタンドで給油したのでした。

ところが一難去ってまた一難。談合坂を過ぎたあたりで、今度は雨が降ってきました。どんどん強くなる雨足に、どんどん低下していく気温と体温。ただでさえ長時間強風にさらされていると体力も奪われるものですが、この雨によって完全にやられてしまいました。後半はもはや気力だけでハンドルにしがみつきながら、文字通りボロ雑巾のような姿で松本に辿り着いたのでした。

購入初日にそんな目に遇ったため、なんでこんなものを買っちまったんだろうと、何故かしばらくブルーになってましたが(笑)、少しずつカスタムをしていくにつれ、急速に愛着が湧いていきました。元々50~60年代位のハーレーナックルヘッドやパンヘッドあたりが好きだったため、そんなクラシックスタイルのカスタムを考えていました。ハンドルをワイドハンドルに替えたのをはじめ、シーシーバーを外し、タンクをヤスリがけした上でボディをベージュに塗りました。その後、東京上野の光輪でエスカルゴフェンダーも購入、リアサスは3インチほどローダウンさせました。本当はフィッシュテールマフラーまで付けたかったのですが、予算の都合上断念。苦労したのは電気系統の不具合でリアのブレットウィンカーがなかなか付かなかったことと、フロントのブレーキオイルの注入でグリップを何百回も握らなければいけなかったことでした。そんな苦労の甲斐もあり、完成したSTEEDはおよそ原型を留めないほどに見違えました。特にベージュのアメリカンなんてまず見掛けないので、行く先々で相当目立っていたと思います。まぁ実際寄ってくるのは大抵子供ばかりでしたが…。

ちょこちょことツーリングにも行きました。安房峠を越えて富山の海を見に行ったり、伊豆半島を回ったり、海ほたるを抜けて房総へ行ったり。寒いのも暑いのも苦手な根性なしライダーだったため、結果的にあまり多く遠出はしませんでしたが、想い出は沢山あります。後悔するのは北海道を走らなかったこと。1年半札幌に住んでいたにも関わらず、向こうには結局車しか持って行けなかったのがもったいなかったなぁと。きっと風を切って富良野や美瑛を走ったらさぞ気持ち良かったことでしょう。

アメリカンというのはバイクの性質上、あまりワインディングのある峠道などは適しません。まっすぐな道をあまりスピードも出さずにクルージングをするものであり、そしてそんなスタイルが好きでした。またカスタムをしたり、車検のたびにパーツを交換したりなど、STEEDをいじっている時間も幸せでした。

3月の晴れた日曜日。動かなくなって久しい愛車STEEDを、私は最後に綺麗に洗車しました。やがてお迎えのトラックがやってきて、STEEDは荷台乗せられてロープで固定され、段々離れていきました。そして私の耳にはドナドナの歌がいつまでも流れていました。さようなら、そしてありがとう。


新しい車についての所感

 

 ゴールデンウィークはどこの高速も渋滞がひどいようだ。そんな中、我が家も昨年生まれた我が子を祖母に見せるために、新しい車に乗って高速で行ってきた。

 ホンダ・モビリオスパイク。正直言って、前の車以外に興味なかったため、次の車などどうでもよかった。しかし実際納車してから1カ月。乗ってみて、悪くないというのが今の印象である。まずルックスであるが、フロントやリアなどの四角い感じは結構気に入っている。そして外見以上に広い居住空間もなかなか良い。さらに走りについても、ステアリングや足回りも予想以上に固めで、高速を走ってみても、思ったよりフワつくこともなくしっかりしていた。ファミリーカーといってバカにはできないなぁと少し感心した次第だった。もちろん自動のスライドドアは、子供や買い物袋を積み込む嫁には評価が高い。中古で走行距離25000km、車体価格67万円。悪くない買い物だったかもしれないと今は思っている。

 それでも道を走っていると、やっぱりすれ違うSUVとかクロカンに魅かれてしまうのも事実。以前はとにかく四角い4WDやSUVが好きだったが、最近の流線型のライトクロカンも気になるようになった。はっきり言って今は世界中の車メーカーがこぞってライトクロカンを出していてどれも似ているのだが、その中であえて選ぶなら…。

 国産なら、日産のムラーノか、ホンダのCR-V。村野さんのフォルムはなかなか洗練されているし、カラーバリエーションも豊富なのも丸。CR-Vは以前の型は興味なかったが、最新型はなかなかいい。トヨタの最近のクロカンはなぜかあまり魅かれないので、あえて挙げるならルミオンかな。
    
    ムラーノ           CR-V           ルミオン

 また以前はヨーロッパ車には興味なかったが、最近このジャンルに限ってはカッコいい車が出てきた。フォルクスワーゲンのトゥアレグや、ポルシェのカイエンなんかが特に魅かれる。(まぁ、カイエンは半端なく高いが・・・。)
   
    トゥアレグ          カイエン

 そしてアメリカ車。昔はシボレーのサバーバンにいつかは乗りたいとずっと思っていたが、大きすぎるので我が家で許されることはないだろうし、最近気になるのはむしろこんな車。これもライトクロカンではないんだが。フォードのフレックスと、シボレーのHHR。フレックスは極端に四角いフォルム、一方HHRはレトロな丸いフォルムで対照的だが、どちらも個性的でいい。燃費も悪いんだろうが、アメリカフリークとしてはやっぱりアメ車には魅かれてしまうものがある。
   
    フレックス          HHR

今は子供も小さいので車も小さめにしたが、次こそは乗りたい車に乗りたいものだ。さていつになることやら。

さようなら、サーフ



 今月は別れが多い。私が職場を離れるだけでなく、愛車とも別れることになってしまうとは…。
 乗り替えの理由はやはり子供。姫が生まれたことにより、彼女をチャイルドシートに乗せたり、荷物を載せたりが、この大きな車だと大変なのだということだ。なるほど、それは理解できる。それにこの車ももう14万キロ以上も走っており、次の車検ももう通せないだろうと言われているくらいだ。仕方がない。しかし走りもエンジンのかかりも、まだまだすこぶる調子が良い。それに車検もまだあと1年残っている。せめて最期まで看取りたかったものだ。しかし先日「安いの見つけた」と妻に引っ張られ、行った中古車ショップで「今年の自動車税が来る前に買い替えた方がお得」だと、その場で購入を決断することになってしまった。まさかこんなに早く別れが来ることになるとは思ってもいなかった。

 私がこの車に出会ったのは、1999年。今から11年も前になる。大学を卒業し、内定していた会社に入社する直前の3月であった。それまで親父のお下がりの古いカローラに我慢して乗っていたので、就職を期に長い間乗りたかった車を購入するつもりだった。130のトヨタ・ハイラックスサーフ、それも背面タイヤのないタイプを探していたところ、黒のリミテッドを見つけた。車体価格190万円、コミコミで220万円。高い買い物ではあったが、迷わずに毎月5万の3年ローンを組んでいた。

 この車は自分にとって、理想の車だった。国産の車としては、これ以外に乗りたいと思える車はなかった。四角くて無骨なフォルムは、いくら見てても見飽きることがなかった。それに背面なしの黒はかなり珍しい。これまで11年の間で、10台もお目にかかったことはない。

 その後、自分なりに色々いじったものだった。タイヤとホイールに始まり、フロントグリル、ウィンカー、テールランプ、リアスポイラーなど、それぞれ替えたり、外したりしながら、自分色に染めていった。本当は仕上げとして、5インチほどローダウンをさせたかったのだが、数10万円ほど予算がかかるので躊躇していたところ、歳を重ねるにつれ結局その機会を逃してしまった。

 この車とは、色んなところに行った。特に最初の会社を辞めた後、1か月間ほどこの車で日本中を旅をしたのは印象深い。北は北海道から、南は四国まで、津々浦々巡ったが、夜の寝泊まりも全部車中だった。また札幌に2年ほど住んでいた時も、この車にはお世話になった。毎日降りしきる雪の中、この車の中だけは暖かかった。色んなことが想い出される。

 忌野清志郎氏じゃないけれども、そりゃひどい乗り方をしたこともあった。左リアのフェンダーは、ガードレールにぶつけて割れたままになっている。また車体右側には、焼き肉屋の駐車場の植木に当てた時の引っかき傷が、かなり目立っている。それなのに直さずにそのままにしていたのは、4WDだからこれも味なのだと気にしなかった自分のO型気質が原因である。

 それでも私はこの車が大好きだった。この車は私の良き相棒であり、パートナーだった。近年の、新しい車が出たからと、数年で買い替えるような乗り方は、理解できなかった。

 一時期この車を手放さざる得ないような事態が起こったこともあった。某都知事によって広まった排ガス規制である。環境のために、ディーゼル車は全て車検を通せなくするというものであった。目的は理解できるが、作ったメーカーは何のおとがめもなく新しい需要にあやかるだけで、買ったユーザーだけが被害を被るというのが、許せなかった。なので私なりのやり方で、この事態を切り抜けた。

 だけど今度だけは、もうそうもいかないようだ。この年式と走行距離なので、下取り価格も廃車手数料分程度にしかならなかった。出会いもあれば、別れもある。仕方がない。次の車は、ホンダのモビリオスパイクだという。自動スライドドアだから、きっと妻と子供は喜ぶだろう。

 明日お別れとなる愛車サーフに、最期に一言。

 さようなら。そして、今までありがとう。


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