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「相原求一郎の軌跡」

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「生誕100年没後20年 相原求一郎の軌跡 -大地への挑戦-」を観に川越市立美術館へ行って来た。川越は初めてだったので、小江戸の街並みを散策しながら行った。

相原求一郎(1918-1999)は川越出身の洋画家である。戦時中は満州に従軍し、戦後は家業を経営しながら画業を続けた。人物はほとんど描かず、ダークな色彩の風景画を得意とし、その画風は正に日本のフリードリヒと言えるだろう。

本展はⅠ期とⅡ期に分かれ、Ⅰ期は初期から中期まで、Ⅱ期は後期から晩年までが展示されていた。

ただ画風は年代によって大きく異なる。最初期は写実的な画風だったが、戦後猪熊弦一郎に師事してからはキュビズムに影響を受けた作品を描いている。しかし当時席巻していた抽象画の風潮に自らの方向性を見失う。そんな折に転機をもたらしたのが、この頃に訪れた北海道の風景だった。果てしなく広がる荒涼とした大地に、かつての満州を重ね合わせ、自身の本当に描きたいものを見い出す。以降北海道は彼のアトリエとなる。

私が好きなのはここから。それまでナイフで厚塗りをしていた抽象表現は薄れ、緻密な写実表現が開花する。しかしここには青い空も輝く太陽もない。灰色の曇天の下に広がる白い雪原や黒い木々だけのモノクロの世界だ。そしてそれがこの上なく美しい。特に「北の十名山」は筆舌に尽くしがたい。

私も若い頃に北海道に住んでいたことがある。札幌の友人に誘われてしばらくベンチャーの真似事をしていたが、仕事は上手く行かなかった。金もなく、知り合いもほとんどいない。そんな私が見た真冬の北海道は、どこまでも厳しく、どこまでも美しかった。

相原求一郎の作品に解説者は温かさや希望を見い出したがるが、私はそんなものは全く感じない。あるのは大自然に対する畏怖と極限の寂寥感である。そこにフリードリヒと共通する共感を感じるのである。

太陽の塔

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大阪万博記念公園にある太陽の塔。芸術家の岡本太郎が制作した1970年の万国博覧会のシンボルである。私は万博をリアルタイムで体験していないが、当時行った義父等から色々話は聞いていた。

この太陽の塔が昨年2018年から48年振りに内部公開を始めたということで気になっていた。入場には事前に予約が必要であり、週末の予約は何ヶ月も先まで一杯なので、かなり前から予約をしていた。

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実際に万博記念公園に行き目にすると、高さ70mのその予想以上の巨大さに驚く。遠目で見てもデカいのだが、近づくにつれて益々大きくなっていく。

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特に私が好きなのはこの後ろ姿。この黒い異様な太陽の背中がカッコ良いが、後ろがこうなっているというのは最近まで知らなかった。

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中に入ると、様々な仮面や土偶が出迎える。当時は岡本太郎が集めたという世界中の民族品が地下に並んでいた。現在公園内の国立民族博物館に所蔵されているものの一部が展示されていた。

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「地底の太陽」。閉会後に行方が分からなくなっていたものを今回復元し、プロジェクションマッピング化してあった。

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塔の1階には地球生命の誕生としてアメーバなどの原始生物がいる。周囲には当時と同じものものしいクラシック音楽が流れ、異様な雰囲気がある。

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そして下から上に向かって40mにも渡って伸びる「生命の樹」の幹や枝には、進化していった様々な生物が並んでいる。三葉虫、巨大な魚類や両生類、恐竜、マンモス、ゴリラ、etc。各階で解説を聞きながら、ひたすら階段を登っていく。撮影できたのは1階だけだったのが残念。

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腕の高さまで登って終了。当時は腕の中のエスカレーターから周囲の建物の上階に行けたそうだ。

「協力するが協調しない」と言い放った「アンチ万博」岡本太郎は、周囲に溶け込まないシンボルの中で壮大なテーマを提示していた。来年は万博から半世紀が経ち、次の大阪万博の開催も決定している。今の時代なら岡本太郎は何を創るのだろう。

森の中のギャラリー

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ある日、東京郊外で車を走らせていると、突然目の前に現れた大きなボッティチェリに目を奪われ、思わず車を止めた。緑の木立の中にそのギャラリーはあった。「コンティーナ」という名前の通りコンテナで造られた素敵な画廊だった。

以来幾度となく通った。洋画・日本画・版画など毎月のように様々な企画展を催されていて、行くたびに愉しませて貰った。通常画廊はなかなか敷居が高くて入り辛いものだが、社長さんが非常に気さくな方で、行く度に様々な画家や画法について教えて頂いた。特にモンゴルやエストニアなど様々な国々にその土地の風土に根差した美術の奥深さを知ることも出来た。

また併設されているカフェではいつも美味しいコーヒーと手作りケーキを頂いた。経済的に絵を購入することは出来なかったので、せめてもの思いがあったのだが、逆にこれが美味しかった。時にはイベントでモンゴル料理をご馳走になったこともあった。

そんなギャラリー コンティーナが先月末をもって立ち退きを余儀なくされた。都道新設のためだという。最終日には多くの人が詰めかけ名残を惜しんだ。色々教えて頂いた私の美術の学校に感謝。いつかどこかでまた再開を待っている。

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「生誕110年 東山魁夷展」

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「生誕110年 東山魁夷展」が国立新美術館で開催されていたので観に行ってきた。東山魁夷(1908-1999)は戦後の国民的画家。日本画家なのだが、その画風はむしろ洋画っぽい。人物を決して描き入れず、徹底して自然風景画に拘った点も好きなところ。平日でも混んでおり人気の高さを伺えた。

展示作品は全部で70点。6章に分かれていたが、各章で個人的に最も好きな作品を挙げてみたいと思う。

<1章 国民的風景画家>
「残照」1947年
敗戦と同時に家族を失った東山が、自然を見つめ直した作品。正に「国破れて山河あり」。長野辺りかと思っていたが、千葉の山々らしい。

<2章 北欧を描く>
「白夜光」1965年
北欧時代の作品。白夜に照らされ、どこまでも連なるフィンランドの森と湖。実はこの頃までの代表作は以前に国立近代美術館のコレクション展で観たことがあるのだが、好きな作品は何度観ても飽きないものだ。

<3章 古都を描く・京都>
「京洛四季習作 年暮る」1966年
この頃の作品のほとんどは信濃の東山魁夷館所蔵で私は初見。小作品ながらどれも趣深いものばかりだった。

<4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア>
「晩鐘」1971年
この頃はモチーフのせいか最も洋画っぽく見えるが、よく見るとやっぱり日本画だった。後年西ドイツ大統領から勲章を受けたことにも納得の美しい作品群。

この後、5章の間奏として「白い馬の見える風景」があった。この頃の作品群は個人的にはメルヘン過ぎてあまり好きではなかったが、障壁画を描くにあたり祈りの意味があったことを知った。

<5章 唐招提寺御影堂障壁画>
今回の目玉はこれ。堂の修繕を機に全ての障壁画・屏風絵が展示され、鴨居や柱、畳座敷まで再現されており臨場感も充分だった。失明してまで日本を目指した鑑真和上のために、日本と中国の絶景が圧倒的な迫力で描かれていた。静謐で幽玄な大屏風絵からは、波や滝の音、ホトトギスの声などが聴こえてくるようで、きっと鑑真和上にも届いたであろうと思われた。

<6章 心を写す風景画>
障壁画で終わりかと思われたが、最後の章があった。晩年の作品群は、長い旅の終わりにあたる画業の集大成であり、非常に見応えがあった。


「民家の画家 向井潤吉 人物交流記」

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先日行った岡本太郎美術館のある生田緑地には日本民家園があった。そこには国重文含む23もの様々な古民家が立ち並んでいて、古き良き日本を感じさせるものだった。

そんな折に世田谷美術館で「民家の画家 向井潤吉 人物交流記」が開催されていたので観に行ってみた。向井潤吉(1901-1995)は明治から平成まで激変する時代と共に生きた洋画家である。戦後の民家を描いた画業が有名だが、それだけではなかった。

まず戦前彼はパリで修業を積んでいたが、その際ルーブル美術館で毎日励んだという模写作品が並んでいた。アングルやルノワールなど巨匠そっくりの模写は既に高い画力を証明していた。

戦中は志願して従軍画家として戦地に赴いている。蘇州やインパールなど戦地での作品群からは鮮烈な印象を受けるが、あえて戦争に対して万歳でも批判でもない客観的な視点には、風景画家としての姿勢を観た気がした。

そして戦後の民家遍旅。急激な経済成長の裏で失われていく日本の原風景を描き残そうと、40年間に渡り日本全国を旅し描き続けた民家の作品がずらりと並んでいた。立派な合掌造りから今にも崩れそうな藁葺き屋根まで様々だが、どれも郷愁を誘うような作品ばかり。個人的にはやはり岩木山の「六月の田園」や白馬の「岳麓好日」などの山麓風景に最も惹かれた。

彼が生涯の中で交流した様々な画家達の作品も含めて全部で150点以上。世田谷美術館の広さにも驚いた。今度近くにある向井潤吉アトリエ館にも行ってみたい。

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「没後160年 歌川広重」

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私が子供の頃、実家にはいつも永谷園のお茶漬けがあった。それには1枚ずつ広重の東海道五十三次の小さなカードを付いていて、私はそれを集めるのが楽しみだったものだ。

今年はその広重の没後160年にあたるため、太田記念美術館で広重展が開催されていた。太田記念美術館は浮世絵専門に12,000枚も所蔵している美術館。原宿にあるが中に入ると畳座敷や中庭もあり趣深い。

2Fから地下まで100点以上の作品が並んでいた。「名所江戸百景」「木曽街道六拾九次」「六十余州名所図会」「富士三十六景」etc。保永堂版東海道で売れっ子になった後多くの版元に請われ、日本各地を旅しながら凄い勢いで多くのシリーズ作品を描いている。絶妙な構図の風景、生き生きと描かれる人物、藍色などの鮮やかな色遣い、などどれも見事。観ていると江戸時代にタイムスリップしている感覚を味わう。今回はダイジェスト的展示構成だったが、一度シリーズをコンプリートした形で観てみたいものだ。

また風景画以外にも花鳥画や美人画、武者絵や戯画まで様々なモチーフの作品も多く並んでいた。中には歌川国貞との合作まであった。個人的に最も印象深かったのは、畳座敷に飾られていた肉筆の掛軸で、実際に広重の筆遣いを目の当たりにすることが出来て良かった。

有名な「月に雁」や「蒲原 夜之雪」も拝みたかったが、前後期展示総入れ替えで後期にはなかった。まぁこの美術館が広重だけでも2600点も所蔵していることを考えれば仕方ないだろう。


第37回 山への賛歌 武井清 油絵展

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7月に観た日本山岳画協会展では、素晴らしい山岳画の数々に魅了されたが、中でも最も感銘を受けたのが武井先生の作品だった。その際に武井先生の個展が新宿小田急の美術画廊で開催されると教えて頂いていたので観に行ってきた。毎年開催されていて、今年がなんと37回目になるという。

会場には30点以上の先生の作品がずらりと並んでいた。槍ヶ岳、穂高連峰、鹿島槍、五竜岳、白馬岳、立山、甲斐駒、北岳といった日本アルプスを中心に、八ヶ岳や富士山まで。日本山岳会にも所属されている先生はご自身で登った山しか描かないそう。どれも美しい雪山で、麓の新緑とのコントラストが綺麗なものから、人も寄せ付けないような厳しい山稜風景まで様々。まるで今その山と対峙しているようにリアルなのだが、近づいて見ると勢いのあるナイフ捌きも分かる。

特に印象的だったのがマッターホルンの作品群。ツェルマットから見る天に聳える東壁は惚れ惚れするような山容だ。その中で一枚だけ50Fという一際大きなキャンパスに描かれた「マッターホルン西壁」があった。先生は実際にこのオートルートを登られて、厳しい山行の末に登頂されたという。先週のウィンパーの初登頂にも思いを馳せながらずっと見入っていた。

ちなみに作品には値段が付いていたが、4Fの小さなものでも数十万円。先の「マッターホルン西壁」は1,944,000円だった。今の私にはとても手が出せないが、いつか小さくても良いので先生のマッターホルンを購入させて頂きたいものだ。そして一度生のマッターホルンを拝んでみたい。

「横山操展~アトリエより」

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三鷹市美術ギャラリーで開館25周年として「横山操展~アトリエより」が開催されていたので観に行ってきた。

横山操(1920-1973)は先日の加山又造の良きライバルであった。10年間に渡る従軍とシベリア拘留からの復員後、迫力のある独特な画風で戦後日本画界の代表的画家となった。しかし脳卒中で右半身不随になった後、53歳で早逝している。

三鷹市美術ギャラリーでは開館時にも横山操展を開催していたようだが、今回は昨年の操夫人逝去によるアトリエ調査から、小品主体の展示ということだった。

場内には無数のスケッチや、筆・顔料などの絵具が並んでおり、横山操の画業を垣間見ることが出来た。また当時の新聞連載小説「石版東京図絵」の挿絵127点がほぼコンプリートされていて、小品ながらも興味深かった。

彼は「炎炎桜島」や「塔」のようなドス黒い迫力のある作品が有名だが、今回そうした代表作はなかったものの、往時を偲ばせる富嶽画「未完1~4」が印象的だった。

また右半身不随となった晩年の作品である「むさし乃」や「茜」は、左手で描いたとは思えない繊細かつ穏やかな画風に見入った。

是非代表作群も生で拝みたいので、また三鷹市美術ギャラリーで開催してくれないだろうか。


「モネ それからの100年」

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義父と横浜美術館で開催されていた「モネ それからの100年」を観に行って来た。義父は趣味で油絵を描いており、地域の美術展にも毎年出展している。そんな義父の一番好きな画家がモネだった。

クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)はフランス印象派を代表する画家であり、日本でも人気が高い。行った日が日曜ということもあり、かなり混んでいた。

モネの作品は初期から晩年まで全部で24点。日本初公開の作品も2点あったし、睡蓮も何点があったけど、全体的にあまり知られていない作品が多かった。筆使いや色合いなど、音声ガイドではなく義父の解説を聞きながら、1つずつゆっくり観賞する。なかなか贅沢な時間。

最も感銘を受けたのは「テムズ河のチャリング・クロス橋」と「霧の中の太陽」。どちらもロンドン滞在期の1903~4年の作品で、夕霧に霞むテムズ河に架かる橋が描かれている。近くで観ると、それほど細くもない筆で、幾重にも重ねて絶妙な色合いを作り出している様子が分かるが、実際細かい部分はあまり良く分からない。それが離れて観た時に初めて橋の具体的な輪郭や上を走る汽車が浮かび上がってきた。それはまるで平面が立体になったような感覚だった。

今展はモネに影響を受けた以降100年の26アーティスト達の66作品も展示されていたが、正直モダンアートは全然分からない。特に以前川村記念美術館で見たマーク・ロコスなどは本当に分からなかった。そんな中で福田美蘭の「睡蓮の池」は面白かった。

名古屋のみの展示だったモネの希少な山岳画「コルサース山」が観たかった。

 

岡本太郎美術館

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ひょんなことから娘が太陽の塔に興味を持ったので、川崎市多摩区にある岡本太郎美術館に行ってみた。

「芸術は爆発だ」で有名な現代芸術家 岡本太郎(1911-1996)。私はあまり抽象画やモダンアートが分からないのだが、実際に行ってみたら印象が変わった。若い頃にパリで美術と民族学を学び、兵役後は日本の縄文美術や伝統文化に傾倒。新しい芸術の創造をし続けた傍らで、民族学や文化論などの著書も多数あるらしい。

そうしたことを理解した上で展示作品を見ると、年代によって変化する作風や制作意図などが少し分かった気がした。常設展「岡本太郎とからだ」展は撮影不可だったが、企画展「街の中の岡本太郎」展では撮影可だった。

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手前は漫画家だった父一平の墓「顔 (1952)」。奥は「動物 (1956)」

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作家だった母かの子を偲んで作られた「誇り (1961)」

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幅10メートル以上の大作「明日の神話 (1968)」

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「太陽の塔 (1970)」の小さいバージョンもいた

今年から太陽の塔は内部公開もされているらしいので、今度行ってみたいと思っている。

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