Art

TAKAO 599 MUSEUM

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東京多摩にある高尾山は人気の高い山である。京王線でアクセスしやすく、599mと低山ながらも登山ルートもバリエーションに富み、薬王院など見所も多い。最近はミシュランガイドにも紹介されたことで、外国人旅行者も増えた。

その高尾山でもみじ祭りがあるというので週末に試しに行ってみたのだが、案の定スゴい人混み。登る気を失くして、ケーブルカー麓駅前で団子を食べながらイベントを少し見た後、TAKAO 599 MUSEUMに寄ってみた。ここは最近出来た所で、高尾山の自然を紹介しているのだが、単なるビジターセンターとは趣向が異なる。

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白を基調にした館内にはショーケースが整然と並んでいる。

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ショーケースの中には様々な自然の生物が飾られているが、真空保存した花々が美術品のようだった。

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木の葉も非常に分かりやすく展示されている。

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動物の剥製たちも沢山いるが、いちいち名前を付けていないところもアートっぽい。

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時折バックの白壁にプロジェクションマッピングの映像も流れる。前説では英語も交え、インバウンド対応もされていた。

地元のスイーツを堪能できるカフェや、木工クラフトの体験の他、様々なイベントもやっていた。高尾山に登らなくても楽しめるが、登りたいという気にもさせてくれるMUSEUMだった。

「おかえり美しき明治」

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府中市美術館で開催されていた「おかえり美しき明治」を観に行ってきた。明治期の洋画(油彩画・水彩画・版画)に焦点を当てた美術展で、作品数は前後期合わせて約300点。風景画が多く、近代美術が好きな私には期待以上の内容だった。

開国後の明治期にはイギリスからの影響が大きかった。前半には1861年に来日したチャールズ・ワーグマンと彼に師事した鹿子木孟郎の2人の作品が多く並んでいたが、正確な写実表現がしっかり継承されていたことが見て取れた。

油彩画も良かったが、私の目当ては水彩画だった。敬愛する大下藤次郎や丸山晩夏、吉田博の作品も拝むことができたが、彼らの師匠であるアルフレッド・イーストとアルフレッド・パーソンズらの作品も多く並んでいた。それらを比べて観ていると、大下の淡い落ち着いた雰囲気の画風はイーストの、丸山の花々を前景にしたカラフルな画風はパーソンズの影響がそれぞれ受け継がれたのだなということも良く理解できた。

京都や箱根、日光など、当時外国人旅行者に売れた日本各地の名所の見事な風景画の数々を愉しんだが、中でも富士山の作品群は素晴らしかった。また名所ではない風景や、当時の人々の暮らしも描かれているが、今はもう見ることも出来ない古き良き日本がそこにあった。タイムスリップしたような世界観を堪能できる良い企画展だった。

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「北丹沢讃歌 ~我心の山~」

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日頃毎日新聞を購読しているのだが、中でも最も楽しみにしていたのが、季節毎にカラーで神奈川県版に掲載されていた丹沢の写真だった。春の山麓の桜、初夏の山稜のシロヤシオ、秋の紅葉、冬の霧氷。色、構図、タイミングなど、全てが絶妙な作品ばかりで、まとめて写真集にしてほしいと思っていた。

撮影者はいつも同じ方だった。白井源三さん。調べてみると県内在住の写真家で「神奈川県の山」の執筆者でもあった。それ以来県内で写真展があると足繁く通うようになった。橋本のギャラリープラットで開催された「富士山を丹沢より望んで」では、蛭ヶ岳周辺から撮影された見事な富嶽の数々が展示されていた。また相模原公園で開催された「南米紀行」では、アコンカグア、マチュピチュ、パタゴニアなどの素晴らしい風景が展開されていた。

行くといつも気さくに撮影のよもやま話を聞かせて下さった。特に丹沢のことは何でもご存知で、檜洞丸のシロヤシオについて教えて頂いた折には、すぐに登りに行った。私の丹沢の先生だった。

今回の県外への引越しでもう先生の新作を見ることが出来なくなったのは残念でならない。直接売って頂いた写真集を眺めつつ、来年の写真展を楽しみにしている。その前に先生の仕事場である蛭ヶ岳は踏破しなければ。

「奥の細道330年 芭蕉」展



「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。」

これは松尾芭蕉「おくのほそ道」の序文である。初めて触れた時は、読み辛い漢文訓読体にひるんだが、慣れるにつれて強く共感するに至った。江戸初期の北日本の史跡名所を巡る紀行文としても面白いし、随所で詠まれている俳諧も素晴らしい。何より生涯を旅に捧げた生き様と、情感豊かな自然描写に感銘を受けた。

この芭蕉と曽良による北への巡礼は1689年の春から秋にかけて。今年はその旅から330年ということで、これを記念した芭蕉展が出光美術館で催されていたので観に行った。場内には芭蕉翁にまつわる品々がずらりと展示されていた。まずは翁自筆の短冊や掛け軸。「古池や」の自筆短冊もあったし、自画の画巻も見事なものだった。また出光美術館は与謝野蕪村や池大雅らの文人画のコレクションで有名だが、蕪村の「奥之細道図」(重文)もあった。

そもそも奥の細道は、翁が敬愛する西行の500回忌に合わせて敢行されたもので、西行の和歌に詠まれた歌枕(名所旧跡)を巡る旅だった。本展では俵屋宗達の「西行物語絵巻」(重文)も展示されていた。

江戸から日光・松島・立石寺・月山、岐阜大垣まで600里(2400km)。いつか私も巡ってみたいものだが、歩いて回るのは絶対無理だ。

最後に私の好きな芭蕉翁の俳諧を3句挙げておく。

夏草や 兵どもが 夢の跡
雲の峰 幾つ崩て 月の山
旅に病んで 夢は枯野を かけ巡る

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「山元春挙 - 大明神と呼ばれた画家」

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私の好きな日本画家 山元春挙の回顧展が名都美術館で開催されていたので、はるばる観に行ってきた。

山元春挙(1871-1933)は竹内栖鳳とともに近代京都画壇を代表する日本画家である。動物画が人気の栖鳳と比べると、春挙の名前はあまり聞かれることはないが、彼の風景画は一見以上の価値がある。

彼の作品の多くは生誕地にある滋賀近代美術館の所蔵で、寄贈のタイミングで2000年に展覧会が開かれていた。その滋賀近代美術館の改装休館にあたり、名都美術館が春挙の作品を借り受け、今回19年振りの回顧展となったのだった。

前後期総入れ替えで、後期終了間近に行ったのだが、スケッチや画材も含めて約40点が展示されていた。最も感銘を受けた5作品を挙げる。

瑞西の絶景(1903)
①「瑞西の絶景」(1903?)
渡米時に描いた「ロッキーの雪」が有名だが、この時スイスには行っていない。富士山に似た見事な山容だが、どこの山かは謎である。

春夏秋冬(1913)
②「春夏秋冬」(1913)
代表作の1つ。四季折々の山岳画はどれも素晴らしいが、特に雪の描写に秀でた春挙の冬の松は見事。

③「上高地穂高連峰写生」(1916)
頻繁に各地の山々へ登山しながらスケッチをしていた。8mにも渡って間断なく描かれたこのスケッチは、既に絵として完成している。

四海青波図(1928)
④「四海青波図」(1928)
春挙作品の特徴はその色彩の鮮やかさにある。特にこの透き通るような青緑色が素晴らしく、しばらく見入ってしまった。生物のような巌の形も面白い。

高嶽爽気図(1930)
⑤「高嶽爽気図」(1930)
最も好きな作品の1つ。中央アルプスらしいが、どこの山だろうか。実際に登った春挙にしか描けないダイナミックさが溢れていた。

またしばらく回顧展が開かれることなどないだろう。遠かったが行って良かった。

「ジョン・ラスキンと地の大聖堂」

ジョン・ラスキンと地の大聖堂
アンドレ エラール
慶應義塾大学出版会
2010-07-01





序文 ラスキンの石について
第1部  山の発見へ(1823年〜1835年)
 第1章  青い山々
 第2章  あそこに、エギーユが!(1833年)
 第3章  とどまれ、とどまれ、そして眺めよ、あれはシャモニーだから!(1835年)
第2部  ソシュール、ターナー、クーテットを道案内として(1842年〜1844年)
 第4章  私がしたい仕事……(1841年〜1842年)
 第5章  夜明けに孤立した山の頂上に立ち給え……(1843年)
 第6章  新しいガイド、ジョゼフ・クーテットとビュエに登った(1844年)
 第7章  私はアルプスの真の秘密のいくつかに近づいた(1844年の日記)
第3部  ヴェネツィアとシャモニ−のあいだ……(1845年〜1856年)
 第8章  私の本当の国(1845年〜1846年)
 第9章  シャモニ−では、革命はなかった(1847年〜1849年)
 第10章  私は『ヴェネツィアの石』の代わりに『シャモニーの石』を書いていただろう…(1849年〜1856年)
 第11章  山の美について、あるいはシャモニーの石(1856年)
第4部  失われ、見出されたたシャモニー(1856年〜1888年)
 第12章  シャモニ−は完全に汚染された(1856年〜1865年)
 第13章  アルパイン・クラブの紳士たち……(1865年)
 第14章  親愛なるシャモニーの老ガイドは逝った(1865年〜1877年)
 第15章  雲なきシャモニーの雪のやすらぎの下に(1877年〜1900年)

三菱一号館美術館で「ジョン・ラスキン生誕200周年記念 ラファエル前派の軌跡展」をやっていた。ラスキンの山岳画を目的に行ってみたところ、「ラ・フォリの滝」など僅かながら拝むことが出来た。ラスキンとターナー以外はほとんど良く観なかったが。。

ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)はイギリスの美術評論家・思想家である。建築や地質学、社会学など幅広い分野の著作があるが、中でも特にアルプスの山岳美について多く著した。これはそんな彼の山との関わりをテーマとした伝記である。ちなみに本著は先日登った丹沢山みやま山荘の本棚にも置かれていた。

彼はイギリスの裕福な商人の一人息子として生まれた。子供の頃に家族旅行で訪れたフランスのシャモニーでアルプスの美に魅了される。彼は身体が弱かったこともあり、登山にはあまり興味を持たなかったかわりに、ひたすら観察することに執心した。

通常シャモニーと言えばモンブランだが、彼はそれよりもエギーユ(先鋒)群に心を奪われた。氷河や岩石の研究をし、わずか15歳で地質学の論文を発表している。また山は美術の対象でもあり常にスケッチをしていた。随所に引用される彼の日記や著作には、彼のシャモニーでの詳細な観察が記録されている。朝焼けの先鋒、刻々と変化する雲、白く輝く氷河、etc。シャモニーの山岳美を誰よりも良く理解し表現していた。

当時イギリスの美術界で山岳画を描いていたのはターナーくらいだったが、その頃は画風が変わり酷評されていた。そのターナーを擁護するために「近代画家論」を執筆したのもこうした流れだった。

一方でラファエル前派と呼ばれる若い画家達も支援していたが、その中のジョン・エヴァレット・ミレイに妻を盗られたのは有名な話だ。これを読むと彼の過保護な両親が彼らの結婚生活を破綻させたことが分かる。

一時はシャモニーの土地まで購入した彼だったが、その後のリゾート開発や氷河の後退といった景観の変化には憤慨した。きっと今のトンネルやロープウェイを見たら卒倒するかもしれない。それでも彼の愛したシャモニーを一度訪れてみたいと思う。

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千住博展

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千住博さんは、ニューヨークを拠点に活躍する現代日本画の巨匠である。2月に日本橋三越で「画業40年 千住博展」、3-4月には横浜そごう美術館で「高野山金剛峰寺襖絵完成記念 千住博展」が相次いで開催され、多くの作品を目にすることが出来た。自然風景の中から各要素に焦点を当て、極限まで突き詰める独特な画風は世界的に評価も高い。今回特に感銘を受けたものを挙げてみる。

①「ウォーターフォール」シリーズ
千住博と言えば滝。ヴェネチアビエンナーレ受賞以来、代名詞的テーマ。昨年NHKのドキュメンタリーでその制作風景を目にし、垂らしこみという手法を知った。斬新ながらも水の動きが見事に表現されていた。

②「断崖」「地の果て」シリーズ
捨てようと思った和紙の皺から着想したとは恐れ入った。細かい岩肌を見ていると、クライマーではないが、思わずどうやって登ろうかと考えながら見入ってしまった。

③「水の記憶」シリーズ
最終的に辿り着いたという水墨画表現。墨の滲みを活かした曇り空は、観る者の心も吸い込むような不思議な表現だった。

④「四季屏風・春、夏、秋、冬」
日本橋三越での目玉展示。全長30mにもなる大作。どれも素晴らしかったが、特にストラヴィンスキー「春の祭典」に触発されたという春の夜桜が見事だった。黒い下地にまず黒い幹から描いているのを見て感心した。

⑤ 金剛峰寺襖絵「瀧図」「断崖図」
横浜そごう美術館での目玉展示。金剛峰寺1200年を記念し制作され、来年奉納される前に今回一般公開された。空海に捧げられた本作は集大成とも言える大作だった。

映像の中で語っていた、芸術とは国境や時代を越えて人々に感動や共感・癒しを与える現代の宗教であるべきだ、という言葉もとても深かった。今度軽井沢にある千住博美術館にも行ってみたい。

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『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』

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今年は葛飾北斎の没後170年に当たるということで、『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』が六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されていたので観に行って来た。前後期合わせて479点という予想以上の展示数で、日曜に行ったこともあり予想以上の混雑具合でもあった。

葛飾北斎(1760-1849)は恐らく世界で最も有名な日本の画家である。20歳で本格的に画業を始め90歳で亡くなるまで、70年という長きに渡り描き続けた北斎は、何度も画号を改名し、その度に画風を更新していった。その全軌跡を俯瞰することが出来る大規模な展覧会だった。

年代毎に各章分かれていたが、また例によってそれぞれで特に印象に残った作品を挙げてみる。

1. 春朗期 ~ 「鐘馗図」 1795
画業初期の作品。浮世絵のイメージが強い北斎だが、肉筆画も少なくない。最小限の筆で鬼気迫るような迫力を放っている
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2. 宗理期 ~ 「くだんうしがふち」 1804
西洋画法を意識したと言われる作品。同時期の司馬江漢によく似た洋風風景画で、どこか北斎らしくない不思議さがある。
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3. 葛飾北斎期 ~ 「しん板くミあけとうろふゆあしんミセのづ」 1807
最も浸透したこの画名を名乗っていたのは実は4年ほどしかない。これは風呂屋の組立て模型図なのだが、こんな代物がこの時代に存在していたことを初めて知ったし、これを実現する設計力に驚いた。
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4. 戴斗期 ~ 「冨嶽百景」 1834
絵手本を多く発表するようになり「北斎漫画」もこの時期。「冨嶽百景」がここで展示されていたが本当は次の為一期である。冊本のため数点しか見られなかったのが残念。
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5. 為一期 ~ 「琉球八景」 1832
最も充実していた時期。「冨嶽三十六景」や「諸国瀧回り」など多くのシリーズを短期間で次々と発表しているが、「琉球八景」というのは初めて知った。ただ実際に琉球に行ったという記録はなく、雪まで描かれているのが面白い。
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6. 画狂老人卍期 ~ 「富士越龍図」 1849
老いても尚挑戦し続ける様は圧巻。これは絶筆、つまり90歳で他界する直前の最後の作品と言われている。富士を超えて天に登る龍は正に北斎自身だったのだろう。これを生で見られただけで満足だった。
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ちなみに今回は北斎の好きな従弟夫婦と一緒に行ったのだが、入場して10分で子供がむずがり出し、結局彼らはほとんど観ることができなかった。図録を買っておいたので、彼らが帰る日にプレゼントしようと思う。

石川直樹 『この星の光の地図を写す』

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東京オペラシティで開催されていた石川直樹さんの写真展『この星の光の地図を写す』を観てきた。私は彼のヒマラヤの作品しか見たことがなかったし、以前もNHK日曜美術館の「山岳写真家 田淵行男」にコメンテーターとして出演していたので、当初石川直樹さんは山岳写真家だと思っていた。しかし実際はそれを遥かに超えるスケールの冒険家で、しかもこのオペラシティのある初台の出身であることを知った。

これまでのキャリアを総括する展示内容は、様々な工夫も凝らされ見応えがあった。会場内撮影可だったので、特に印象に残った場面を。

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POLAR
彼は23歳で北極から南極まで自力縦断をしている。厳寒の極地での暖かさの感じる作品が並んでいた。

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New Dimention
世界中の古代壁画も撮り続けていた。壁画だけでなく各地の自然や人々の暮らしも巧みに捉えていた。

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Mt. Fuji
トレーニングのため始めたという富士登山。麓の浅間神社の祭から、空撮の火口までが富士の形に並べられていた

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K2
20歳でアラスカのデナリに登頂し、23歳で世界七大陸最高峰を最年少で踏破。ここでは2015年にK2に挑戦した時の作品が並んでいるハイライト。テントの中では映像も見ることが出来た。

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石川直樹の部屋
彼のテント、ザック、登山靴などの装備一式や、旅先のグッズなどがずらりと展示。愛読書を陳列した本棚もあり興味深かった。

実は石川直樹さんの著書「極北へ」は、毎日新聞の読書感想画コンクール(中学校・高等学校の部)の指定図書にもなっていた。今度著書も読んでみようと思う。

「相原求一郎の軌跡」

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「生誕100年没後20年 相原求一郎の軌跡 -大地への挑戦-」を観に川越市立美術館へ行って来た。川越は初めてだったので、小江戸の街並みを散策しながら行った。

相原求一郎(1918-1999)は川越出身の洋画家である。戦時中は満州に従軍し、戦後は家業を経営しながら画業を続けた。人物はほとんど描かず、ダークな色彩の風景画を得意とし、その画風は正に日本のフリードリヒと言えるだろう。

本展はⅠ期とⅡ期に分かれ、Ⅰ期は初期から中期まで、Ⅱ期は後期から晩年までが展示されていた。

ただ画風は年代によって大きく異なる。最初期は写実的な画風だったが、戦後猪熊弦一郎に師事してからはキュビズムに影響を受けた作品を描いている。しかし当時席巻していた抽象画の風潮に自らの方向性を見失う。そんな折に転機をもたらしたのが、この頃に訪れた北海道の風景だった。果てしなく広がる荒涼とした大地に、かつての満州を重ね合わせ、自身の本当に描きたいものを見い出す。以降北海道は彼のアトリエとなる。

私が好きなのはここから。それまでナイフで厚塗りをしていた抽象表現は薄れ、緻密な写実表現が開花する。しかしここには青い空も輝く太陽もない。灰色の曇天の下に広がる白い雪原や黒い木々だけのモノクロの世界だ。そしてそれがこの上なく美しい。特に「北の十名山」は筆舌に尽くしがたい。

私も若い頃に北海道に住んでいたことがある。札幌の友人に誘われてしばらくベンチャーの真似事をしていたが、仕事は上手く行かなかった。金もなく、知り合いもほとんどいない。そんな私が見た真冬の北海道は、どこまでも厳しく、どこまでも美しかった。

相原求一郎の作品に解説者は温かさや希望を見い出したがるが、私はそんなものは全く感じない。あるのは大自然に対する畏怖と極限の寂寥感である。そこにフリードリヒと共通する共感を感じるのである。
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