1. 鎗ヶ嶽探険記
2. 山を讃する文
3. 奥常念岳の絶巓に立つ記
4. 梓川の上流
5. 雪中富士登山記
6. 雪の白峰
7. 白峰山脈縦断記
8. 日本北アルプス縦断記より
9. 谷より峰へ峰より谷へ
10.飛騨双六谷より
11.高山の雪
12.日本山岳景の特色
13.上高地風景保護論
14.不尽の高根

先日のウェストンに続いて今回は小島烏水を取り上げたい。日本で最初の山岳会(後の日本山岳会)の創設者である。

小島烏水(1873-1948)は横浜の銀行員、つまり一介のサラリーマンだったが、山に対する情熱は並々ならぬものがあり、毎年有給を駆使して各地の山々を踏破し続けていた。まだ地図もなく猟師や修験者以外は山に登る者などいない時代である。元々文才もあったため、多くの紀行文も残しているが、その代表作が全4巻の「日本アルプス」であり、本著はそのハイライトを抜粋したものである。

冒頭に収録されている”槍ケ嶽探検記”は次のように始まる。「余が槍ケ嶽登山をおもひ立ちたるは一朝一夕のことにあらず。何が故に然りしか。山高ければなり。山尖りて嶮しければなり。」最初はこのような漢文体、後年は口語体と、時代により文体も変化しているが、言葉の美しさは変わらない。

苦労の末に槍ケ嶽登頂に成功し喜んだのも束の間、自分よりも先に登頂し紀行文を発表していたウェストンの存在を知ることになる。そのウェストンを訪ねた際に、日本でも山岳会を作ることを勧められるのである。この2人の出会いが日本登山史の幕開けとなった。

もう1人烏水に大きな影響を与えたのがジョン・ラスキンである。烏水の文章には山中で観察される岩石や植物について詳述しており、彼の博学にも感嘆するが、ラスキンも同様だった。また烏水も山と同じ位に美術を愛し、山岳画のみならず美術全般に通じていた。彼の収集した国内外の版画のコレクションは膨大なものであり、後年に横浜美術館に寄贈されている。

私が再び山にハマったきっかけは横浜美術館で観た丸山晩夏と大下藤次郎の水彩画だったが、これらも彼らと親交のあった烏水の所蔵だったらしい。烏水に感謝しなければいけない。