ジョン・ラスキンと地の大聖堂
アンドレ エラール
慶應義塾大学出版会
2010-07-01





序文 ラスキンの石について
第1部  山の発見へ(1823年〜1835年)
 第1章  青い山々
 第2章  あそこに、エギーユが!(1833年)
 第3章  とどまれ、とどまれ、そして眺めよ、あれはシャモニーだから!(1835年)
第2部  ソシュール、ターナー、クーテットを道案内として(1842年〜1844年)
 第4章  私がしたい仕事……(1841年〜1842年)
 第5章  夜明けに孤立した山の頂上に立ち給え……(1843年)
 第6章  新しいガイド、ジョゼフ・クーテットとビュエに登った(1844年)
 第7章  私はアルプスの真の秘密のいくつかに近づいた(1844年の日記)
第3部  ヴェネツィアとシャモニ−のあいだ……(1845年〜1856年)
 第8章  私の本当の国(1845年〜1846年)
 第9章  シャモニ−では、革命はなかった(1847年〜1849年)
 第10章  私は『ヴェネツィアの石』の代わりに『シャモニーの石』を書いていただろう…(1849年〜1856年)
 第11章  山の美について、あるいはシャモニーの石(1856年)
第4部  失われ、見出されたたシャモニー(1856年〜1888年)
 第12章  シャモニ−は完全に汚染された(1856年〜1865年)
 第13章  アルパイン・クラブの紳士たち……(1865年)
 第14章  親愛なるシャモニーの老ガイドは逝った(1865年〜1877年)
 第15章  雲なきシャモニーの雪のやすらぎの下に(1877年〜1900年)

三菱一号館美術館で「ジョン・ラスキン生誕200周年記念 ラファエル前派の軌跡展」をやっていた。ラスキンの山岳画を目的に行ってみたところ、「ラ・フォリの滝」など僅かながら拝むことが出来た。ラスキンとターナー以外はほとんど良く観なかったが。。

ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)はイギリスの美術評論家・思想家である。建築や地質学、社会学など幅広い分野の著作があるが、中でも特にアルプスの山岳美について多く著した。これはそんな彼の山との関わりをテーマとした伝記である。ちなみに本著は先日登った丹沢山みやま山荘の本棚にも置かれていた。

彼はイギリスの裕福な商人の一人息子として生まれた。子供の頃に家族旅行で訪れたフランスのシャモニーでアルプスの美に魅了される。彼は身体が弱かったこともあり、登山にはあまり興味を持たなかったかわりに、ひたすら観察することに執心した。

通常シャモニーと言えばモンブランだが、彼はそれよりもエギーユ(先鋒)群に心を奪われた。氷河や岩石の研究をし、わずか15歳で地質学の論文を発表している。また山は美術の対象でもあり常にスケッチをしていた。随所に引用される彼の日記や著作には、彼のシャモニーでの詳細な観察が記録されている。朝焼けの先鋒、刻々と変化する雲、白く輝く氷河、etc。シャモニーの山岳美を誰よりも良く理解し表現していた。

当時イギリスの美術界で山岳画を描いていたのはターナーくらいだったが、その頃は画風が変わり酷評されていた。そのターナーを擁護するために「近代画家論」を執筆したのもこうした流れだった。

一方でラファエル前派と呼ばれる若い画家達も支援していたが、その中のジョン・エヴァレット・ミレイに妻を盗られたのは有名な話だ。これを読むと彼の過保護な両親が彼らの結婚生活を破綻させたことが分かる。

一時はシャモニーの土地まで購入した彼だったが、その後のリゾート開発や氷河の後退といった景観の変化には憤慨した。きっと今のトンネルやロープウェイを見たら卒倒するかもしれない。それでも彼の愛したシャモニーを一度訪れてみたいと思う。

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