アルプス登攀記〈上〉 (岩波文庫)
エドワード ウィンパー
岩波書店
1966-01


〈1860年〉
第1章 はじめに
〈1861年〉
第2章 モン・ペルヴーの登攀
第3章 マッターホルンへの第1回の登攀
(1862年)
第4章 マッターホルン、再度の試み
(1863年)
第5章 トゥールナンシュの谷――ブルイユから直接ツェルマットに抜ける峠(ブルイユヨッホ)――ツェルマット――グラン・トゥールナランの初登攀
第6章 マッターホルン登攀、第6回の試み
〈1864年〉
第7章 モン・スニー街道のサン・ミッシェルからコル・デ・ゼギーユ・ダルヴ、コル・ド・マルティニャール、ブレーシュ・ド・ラ・メイジュを越えてラ・ベラルドまで
第8章 エクランの初登頂
第9章 コル・ド・ラ・ピラットの初通過
第10章 モン・ブラン山群にて――コル・ド・トリオレ越えとモン・ドラン、エギーユ・ド・トレラテート、エギーユ・ダルジャンティエールの初登攀
第11章 モンマング峠の初通過――ツェルマット
〈1865年〉
第12章 グラン・コルニエの初登頂
第13章 ダン・ブランシュの登攀
第14章 コル・デランで道に迷う――マッターホルン登攀、7回目の試み
第15章 アオスタの谷、グランド・ジョラスの登攀
第16章 コル・ドランの初通過
第17章 エギーユ・ヴェルトの登攀
第18章 コル・ド・タレーフルの初通過
第19章 リュイネットの初登攀――マッターホルン
第20章 マッターホルンの初登攀
第21章 マッターホルンの下山
付録 マッターホルン後日物語
 

読書の秋ということで一冊。

ヨーロッパアルプスのマッターホルンは、美しい一方でその鋭い山容から最後まで登頂不可能とされてきた。1865年にそのマッターホルンの初登頂に成功したのがウィンパーであった。これは1860年から5年間にわたる彼の登山記である。

イギリス人であるエドワード・ウィンパー(Edward Whymper, 1840-1911)は元々画家であり、アルプスへは挿絵画の仕事を依頼されたから行ったのだった。しかしアルプスに魅了された彼は登山家としての人生を歩み始めることになる。

その登山は挑戦の連続であった。山案内を伴いながら数々の未踏峰に果敢に目指していくのだが、氷河の亀裂、雪崩や落石、猛吹雪などによって幾度となく危険に晒される。それでも彼は諦めることなく、氷河や雪斜面や岩層の構造、気象条件などを緻密に分析し、ルートや装備などを見直しながら、エクランやグランド・ジョラスなどの頂を次々と踏破していく。その様子は痛快だ。

アルプス登山黄金期の中心人物も一通り登場する。ウィンパーのライバルJ.A.カレル、山案内ミッシェル・クロー、せむしの人夫ルク・メイネ、ジョン・チンダル教授、etc。こうしたアルプスの猛者達がウィンパーの山行に密接に関わってくる。

これが単なる紀行文とは異なっているのはウィンパーの持つ視点の広さや博学による。文中における景観美の論じ方は画家としての視点であるし、氷河地形や鉄道が出来上がる様子などは技術者としてのそれである。ある村に蔓延する白痴病の根絶方法にも触れている。

マッターホルンには計8回挑戦している。当初は南西山稜から挑んでいたが、一度は数百フィートも崖を滑落し大怪我を負っている。最終的に岩層の構造を分析し、東壁にルートを変更する。一緒に組もうと思っていたカレルに出し抜かれたことを知り、急いでクローらと7人で隊を組んで山頂を目指す。そして南西から登っていたカレル隊よりも先に、東壁から見事初登頂を果たす。しかし下山中に他の山案内が使用していた通常よりも細いロープが切れたせいで、クローら4人が滑落して命を落とすのだった。

この悲劇によってウィンパーの栄冠には傷がついてしまった感はある。しかしこれを読めば彼が常に試行錯誤を繰り返しながら決して諦めずに挑み続け、その必然の結果としてマッターホルン初登頂を遂げたことが分かるだろう。

1840-1911_Edward_Whymper_(England)
随所に挿入されている彼の見事な挿絵も見所だ。