先日富士山が世界文化遺産に登録されることが決定したということで、だいぶ話題になっていた。これを受けて私も今日は富士山に関することをダラダラと書いてみることにする。

そもそも自然遺産登録に失敗したことから、文化遺産登録へ方向転換という力技でのうっちゃりだったが、いずれにせよ日本人にとって富士山がどれだけ特別なものかを証明したわけである。だがそれは何も日本人だけの話ではない。私は普段仕事でインバウンドの旅行業に携わっているわけだが、日本に観光で来日してくる外国人にとっても、富士山は特別な存在である。関西の一番人気は京都である一方、関東では世界遺産になる前から富士山がダントツだった。

では何故外国人にそんなに富士山が人気あるのか?それはあの独立峰の頂きとそこにトッピングされた雪のコントラストが描く神秘的な美しさである。しかしそのイメージが強いあまりに誤解もある。以前私は夏に富士五合目に上がるツアーを手配した外国人客から運行終了後にクレームを受けた。話を聞くと、雪化粧をした美しい富士山の写真を取りたかったのに、連れて行かれたところにはどこにも雪がなかったというのだ。いやいや、そもそも雪があったら五合目なんか上がれないんですけど…。ただしかし彼らも雪のない富士山の姿を見たことかないので、そう思うのも無理はない。なのでそれ以降うちのパンフやサイトには、「There is no snow on the top of Mt.Fuji in summer season.」という但し書きを足している。

しかし富士山の本質というのは、その夏の雪のない五合目から先の世界にあると思っている。もともと私は山登りが好きなので、以前高校の教員をしていた時代にも富士登山を企画したことがある。ちょうど4年前の今頃、生徒の中から有志の男子生徒ばかりを集め、事前に装備の講習やハイキング訓練などを行い準備した。そして当日、五合目までバスで送ってもらい、掛け声をかけてから登り始めた。しかしこれが思ったよりもキツい。何しろ登山道はただひたすら登りで、周囲の景色も全く変化なく、どこまでも瓦礫。気分は完全に修行僧。遠目では優美な富士山も近くで見ると荒々しい火山の様子を呈している。ようやく辿り着いた八合目の山荘は大混雑で全く寝た気もしない。それでも耐えて登り続けるのは、全ては御来光のためである。

しかし真夜中に九合目まで登った時に、生徒の一人が頭痛を訴えた。高山病である。そして引率たるもの生徒を一人残すこともできないので、もう一人の先生に本隊はお願いをし、私は泣く泣く彼を連れて八合目まで下山することにした。八合目まで降りた時には彼はすっかり元気、でももう登る気はないという。仕方なく私は彼とそこで夜を明かし、御来光を迎えたが、それは息を飲むほどに美しかった。ただその後降りてきた本隊に聞くと、山頂の御来光と達成感は比ではなかったようだった。

「残念」という言葉通りに、富士山の九合目には私の「念」が「残」っている。いつか必ずその「念」を迎えに行き、山頂まで連れて行ってあげることが、私の務めである。