当初昨日は別のことをアップする予定だったが、現況を鑑みて取り止めにすることにした。代わりに備忘録として先週末の自分自身の体験を書いておきたいと思う。

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最初に小さな揺れを感じたと思った瞬間、次に激しい横揺れがビルを襲った。耐震構造上、通常よりも余計に揺れるようになっているというが、それにしても激しい。女子たちは叫び声をあげ、泣いているものもいる。もはや立っていることもできず、皆机の下に身を屈める。オフィス内にあるものが次々に倒れていき床に散乱していく。一段落したので窓から外に目をやると、少し先のビルから炎と真っ黒な煙が立ち上っているのが見えた。その光景に呆然となっているところに、さらにまた新たな激しい揺れが襲いかかる。 これまで生きてきた中では間違いなく最大規模だろう。

ようやく落ち着いた頃、まずは急いで妻の携帯と子供の通う保育園に電話をかける。しかし携帯電話も固定電話もつながらない。無事の確認が取れたのはそれからしばらくしてからだった。妻の職場のある街は全体が停電になり信号も消えているようだ。勿論電車も止まっているため、数駅の距離を歩いて保育園に迎えに行ってくれた。

私のいる都心も電車は全線運休していた。電話も通じず仕事にもならず、社員たちは家に帰り始めた。しかし公共機関は動いておらず、タクシーには長蛇の列のため、 やはり歩いて家を目指して行った。車で帰ったものもいたが、高速道路は封鎖されていたため下道は全て渋滞となり、家に着いたのは翌朝だったようだ。私は家まで電車で2時間弱あり歩ける距離ではないので、やむを得ず会社に泊まることにした。このような帰宅難民は都内で10万人を超えたという。会社の人達と食料を確保しようとビル内のコンビニに行ったが、ほとんど残っておらず、わずかに買い集めた食料を翌日まで皆で分け合った。

インバウンドの車両手配を行っている私の仕事についても、地震の影響による空港閉鎖と道路封鎖のため混乱を極めた。世界中からキャンセルとトラブルの電話とメールが夜通し入り続けため、ほとんど寝ることもできずに対応を続け、結局一段落したのは翌日の夕方だった。現段階での損失額は全体で数千万円に達した。

しかしこうした被害ははっきり言って大したものではない。その後も計画停電や交通網の混乱、食料や燃料の不足が続いているが、それも大したことはない。東北地方で被災した多くの方々に比べれば。日々の報道でその被害の大きさが膨れ上がっていくのを見るたびに心が痛む。亡くなられた方々のご冥福と被災地の復旧をお祈りするとともに、かねてより噂されている東海地震が来ないことを願うばかりである。