「没後160年 歌川広重」

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私が子供の頃、実家にはいつも永谷園のお茶漬けがあった。それには1枚ずつ広重の東海道五十三次の小さなカードを付いていて、私はそれを集めるのが楽しみだったものだ。

今年はその広重の没後160年にあたるため、太田記念美術館で広重展が開催されていた。太田記念美術館は浮世絵専門に12,000枚も所蔵している美術館。原宿にあるが中に入ると畳座敷や中庭もあり趣深い。

2Fから地下まで100点以上の作品が並んでいた。「名所江戸百景」「木曽街道六拾九次」「六十余州名所図会」「富士三十六景」etc。保永堂版東海道で売れっ子になった後多くの版元に請われ、日本各地を旅しながら凄い勢いで多くのシリーズ作品を描いている。絶妙な構図の風景、生き生きと描かれる人物、藍色などの鮮やかな色遣い、などどれも見事。観ていると江戸時代にタイムスリップしている感覚を味わう。今回はダイジェスト的展示構成だったが、一度シリーズをコンプリートした形で観てみたいものだ。

また風景画以外にも花鳥画や美人画、武者絵や戯画まで様々なモチーフの作品も多く並んでいた。中には歌川国貞との合作まであった。個人的に最も印象深かったのは、畳座敷に飾られていた肉筆の掛軸で、実際に広重の筆遣いを目の当たりにすることが出来て良かった。

有名な「月に雁」や「蒲原 夜之雪」も拝みたかったが、前後期展示総入れ替えで後期にはなかった。まぁこの美術館が広重だけでも2600点も所蔵していることを考えれば仕方ないだろう。


「Hysteria: The Def Leppard Story」

先日の来日公演の余韻が残るDef Leppard。今日は彼らの映画を紹介したい。これは2001年に制作された彼らの歴史を再現したドラマなのだが、日本では未公開なのであまり知られていない。

70年代のパンクに反旗をひるがえし、集まった彼ら。当時まだ皆わずか10代、Rick Allenに至っては15歳だった。バンドの結成をまとめたリーダーだったPete Willisは、アルコールに入り浸り解雇される。後任にGirlのPhil Collinが加入。当初から目指していたアメリカで成功。グルーピーたちとの乱痴気騒ぎ、Rickの交通事故、そして大けがにより左腕の喪失。そしてSteve Clarkのアルコール問題と他界。

他のバンドが経験することがないほどの壮絶な物語。歴史として知っている一つ一つの事実がドラマとして忠実に再現されている。役者もそっくりとまではいかずとも、かなり似ており、よく集めたなぁと感心する。ファッションまで本人にそっくりだ。初期の楽曲の数々がストーリー中の随所に演奏されるのも良い。ファンであれば一見の価値あり。


Def Leppard Live Report 2018

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Def Leppardの来日公演に行って来た。今回は「Hysteria」の再現とのことで楽しみにしていた。早めに会場の武道館に着くと、まだリハーサルをやっており、大音量が辺りにこだましていた。地響きのようなドラムサウンドに乗って聴こえるテンポの速いギターリフは何と”Let It Go”。今夜これも聴けるのかと思うと更に期待が高まった。開場後に中に入る。席は1階南西の最後尾。開演前に満員になった。

Rolling StonesやThin Lizzy、Depech ModeなどイギリスのグループばかりのSEが流れた後に暗転し、場内大歓声。”Women”のイントロが聴こえた後、Phil Collinがステージ前方に伸びている花道でギターを鳴らしていた。入れ替わりでJoe Elliottが"In the beginning ~"と歌いながら花道に出て来る。Philはステージ右手へ。左手にはもう1人のギターVivian Campbell、一段上がったドラムセットにはRick Allen、その右手にベースRick Savage。

続いてアルバム通りのSEから”Rocket”が始まる。「Hysteria」の忠実に再現してくれることが分かり嬉しくなる。息の合った演奏もさることながら、分厚いコーラスも見事。

Joeは見た目も声も昔とあまり変わらない。マイクにはユニオンジャックが垂れ下がっていた。Philはスタートから上半身裸。若い頃よりも今の方がムキムキなんじゃないだろうか。Savはブロンドの髪が最初Steve Clarkかと思ってしまった。ピンクのスーツやQueenのTシャツが何故か似合ってカッコ良い。

残る2人は年相応になったかな。Rickはバスドラ1つのシンプルなドラムセットに座り、片手と両足でニコニコ叩いている。Vivianは一時大病を患っていたと聞いたが、見る限り元気そうだった。

明るい”Animal”、泣きのバラード”Love Bites”と名曲が続き、ノスタルジーを掻き立てる。隣の女性は目頭を抑えていた。ここでJoeのMC、「初めて日本に来てから34年になるね。またこの同じメンバーで26年になるよ。今日はHysteriaアルバムを演奏するね」大合唱の”Pour Some Sugar On Me”と、Vivianの紹介から”Armagedon It”が続く。

印象的だったのはこの後。それまでバックスクリーンにはイメージ映像が流れていたのが、突然在りし日のSteve Clarkを映し出した。Hysteriaツアーでのラウンドステージでギターソロを弾くSteveの姿に思わず見入る。そして彼作曲の”Gods Of War”。彼が他界してからもう27年経つが、彼が今でもバンドのメンバーなのだと感じさせてもらえた。

個人的に大好きなアップテンポの”Run Riot”で拳を上げた後は、最もノスタルジーを刺激する”Hysteria”。幸せなひと時。”Excitable”の後の”Love And Affection”も同様の感慨を感じさせてくれた。そしてHysteriaは終わってしまった。メンバーは退場。

アンコールに戻って最初に演ってくれたのが”Let It Go”。攻め立てるハードなリフと疾走感が堪らない。「High 'n' Dry」アルバムからは他にも色々演って欲しい曲はあったが、この夜は残念ながらこれだけ。最近のバラードの後、”Let's Get Rocked”と”Rock Of Ages”で場内合唱。ラストは”Photograph”で、バックスクリーンには沢山の昔の写真が走馬灯のように流れる。花道ではPhilとVivianが並んで仲良くソロを披露していた。最後にメンバー全員で花道に並んで挨拶をして終了した。

今回はとにかくHysteriaの名盤っぷりを痛感できたステージだった。できればいつかHigh 'n' Dry再現なんてのも観てみたいものだ。

1. Women
2. Rocket
3. Animal
4. Love Bites
5. Pour Some Sugar on Me
6. Armageddon It
7. Gods of War
8. Don't Shoot Shotgun
9. Run Riot
10.Hysteria
11.Excitable
12.Love and Affection
Encore:
13.Let It Go
14.When Love and Hate Collide
15.Let's Get Rocked
16.Rock of Ages
17.Photograph 
...

塔ノ岳登山

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先週丹沢の塔ノ岳に登ってきた。週末だと混むので代休を利用して平日に行ったのだが、人もまばらで空いていた。天気はずっと雲や雨続きだったが、この日だけは偶然晴れ間が出ていた。

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今日のルートは王道の大倉尾根のピストン。例によって遅くなり9時に大倉登山口から登り始める。

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大倉尾根は山小屋が多いが、平日はどこも閉まっていた。途中、駒止茶屋と花立山荘で数分だけ休憩した。

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バカ尾根と呼ばれるだけあり、ダラダラとひたすら階段が続く登りが辛い。名前が分からないが、あちこちに咲いている色んな花が多少の救いになる。

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また少し色付いた紅葉も目を楽しませてくれた。ヒルが心配だったので、レッグガードとヒルファイターを用意していたが、もういないようで安心した。

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12:10に塔ノ岳山頂(1491m)にようやく到着した。約3時間でひとまず予定通りだった。

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あいにく山頂は雲の中。唯一見えた眺望はこれだけだったが、これも後には完全にガスに覆われてしまった。残念。

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尊仏山荘でカップラーメンを頂きながら、山荘の親父さんと話をする。ヒルや冬場の雪などについて色々教えて頂いた。
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下りもキツかった。流石バカ尾根、ひたすら続く階段に膝が痛くなる。結局下山にも3時間近くかかってしまったが、途中から他の下山者と一緒になり山話をしていたら辛さも紛れた。

次の目標は表尾根と主脈縦走。娘は行けるかな。

第37回 山への賛歌 武井清 油絵展

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7月に観た日本山岳画協会展では、素晴らしい山岳画の数々に魅了されたが、中でも最も感銘を受けたのが武井先生の作品だった。その際に武井先生の個展が新宿小田急の美術画廊で開催されると教えて頂いていたので観に行ってきた。毎年開催されていて、今年がなんと37回目になるという。

会場には30点以上の先生の作品がずらりと並んでいた。槍ヶ岳、穂高連峰、鹿島槍、五竜岳、白馬岳、立山、甲斐駒、北岳といった日本アルプスを中心に、八ヶ岳や富士山まで。日本山岳会にも所属されている先生はご自身で登った山しか描かないそう。どれも美しい雪山で、麓の新緑とのコントラストが綺麗なものから、人も寄せ付けないような厳しい山稜風景まで様々。まるで今その山と対峙しているようにリアルなのだが、近づいて見ると勢いのあるナイフ捌きも分かる。

特に印象的だったのがマッターホルンの作品群。ツェルマットから見る天に聳える東壁は惚れ惚れするような山容だ。その中で一枚だけ50Fという一際大きなキャンパスに描かれた「マッターホルン西壁」があった。先生は実際にこのオートルートを登られて、厳しい山行の末に登頂されたという。先週のウィンパーの初登頂にも思いを馳せながらずっと見入っていた。

ちなみに作品には値段が付いていたが、4Fの小さなものでも数十万円。先の「マッターホルン西壁」は1,944,000円だった。今の私にはとても手が出せないが、いつか小さくても良いので先生のマッターホルンを購入させて頂きたいものだ。そして一度生のマッターホルンを拝んでみたい。

「アルプス登攀記」

アルプス登攀記〈上〉 (岩波文庫)
エドワード ウィンパー
岩波書店
1966-01


〈1860年〉
第1章 はじめに
〈1861年〉
第2章 モン・ペルヴーの登攀
第3章 マッターホルンへの第1回の登攀
(1862年)
第4章 マッターホルン、再度の試み
(1863年)
第5章 トゥールナンシュの谷――ブルイユから直接ツェルマットに抜ける峠(ブルイユヨッホ)――ツェルマット――グラン・トゥールナランの初登攀
第6章 マッターホルン登攀、第6回の試み
〈1864年〉
第7章 モン・スニー街道のサン・ミッシェルからコル・デ・ゼギーユ・ダルヴ、コル・ド・マルティニャール、ブレーシュ・ド・ラ・メイジュを越えてラ・ベラルドまで
第8章 エクランの初登頂
第9章 コル・ド・ラ・ピラットの初通過
第10章 モン・ブラン山群にて――コル・ド・トリオレ越えとモン・ドラン、エギーユ・ド・トレラテート、エギーユ・ダルジャンティエールの初登攀
第11章 モンマング峠の初通過――ツェルマット
〈1865年〉
第12章 グラン・コルニエの初登頂
第13章 ダン・ブランシュの登攀
第14章 コル・デランで道に迷う――マッターホルン登攀、7回目の試み
第15章 アオスタの谷、グランド・ジョラスの登攀
第16章 コル・ドランの初通過
第17章 エギーユ・ヴェルトの登攀
第18章 コル・ド・タレーフルの初通過
第19章 リュイネットの初登攀――マッターホルン
第20章 マッターホルンの初登攀
第21章 マッターホルンの下山
付録 マッターホルン後日物語
 

読書の秋ということで一冊。

ヨーロッパアルプスのマッターホルンは、美しい一方でその鋭い山容から最後まで登頂不可能とされてきた。1865年にそのマッターホルンの初登頂に成功したのがウィンパーであった。これは1860年から5年間にわたる彼の登山記である。

イギリス人であるエドワード・ウィンパー(Edward Whymper, 1840-1911)は元々画家であり、アルプスへは挿絵画の仕事を依頼されたから行ったのだった。しかしアルプスに魅了された彼は登山家としての人生を歩み始めることになる。

その登山は挑戦の連続であった。山案内を伴いながら数々の未踏峰に果敢に目指していくのだが、氷河の亀裂、雪崩や落石、猛吹雪などによって幾度となく危険に晒される。それでも彼は諦めることなく、氷河や雪斜面や岩層の構造、気象条件などを緻密に分析し、ルートや装備などを見直しながら、エクランやグランド・ジョラスなどの頂を次々と踏破していく。その様子は痛快だ。

アルプス登山黄金期の中心人物も一通り登場する。ウィンパーのライバルJ.A.カレル、山案内ミッシェル・クロー、せむしの人夫ルク・メイネ、ジョン・チンダル教授、etc。こうしたアルプスの猛者達がウィンパーの山行に密接に関わってくる。

これが単なる紀行文とは異なっているのはウィンパーの持つ視点の広さや博学による。文中における景観美の論じ方は画家としての視点であるし、氷河地形や鉄道が出来上がる様子などは技術者としてのそれである。ある村に蔓延する白痴病の根絶方法にも触れている。

マッターホルンには計8回挑戦している。当初は南西山稜から挑んでいたが、一度は数百フィートも崖を滑落し大怪我を負っている。最終的に岩層の構造を分析し、東壁にルートを変更する。一緒に組もうと思っていたカレルに出し抜かれたことを知り、急いでクローらと7人で隊を組んで山頂を目指す。そして南西から登っていたカレル隊よりも先に、東壁から見事初登頂を果たす。しかし下山中に他の山案内が使用していた通常よりも細いロープが切れたせいで、クローら4人が滑落して命を落とすのだった。

この悲劇によってウィンパーの栄冠には傷がついてしまった感はある。しかしこれを読めば彼が常に試行錯誤を繰り返しながら決して諦めずに挑み続け、その必然の結果としてマッターホルン初登頂を遂げたことが分かるだろう。

1840-1911_Edward_Whymper_(England)
随所に挿入されている彼の見事な挿絵も見所だ。

「横山操展~アトリエより」

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三鷹市美術ギャラリーで開館25周年として「横山操展~アトリエより」が開催されていたので観に行ってきた。

横山操(1920-1973)は先日の加山又造の良きライバルであった。10年間に渡る従軍とシベリア拘留からの復員後、迫力のある独特な画風で戦後日本画界の代表的画家となった。しかし脳卒中で右半身不随になった後、53歳で早逝している。

三鷹市美術ギャラリーでは開館時にも横山操展を開催していたようだが、今回は昨年の操夫人逝去によるアトリエ調査から、小品主体の展示ということだった。

場内には無数のスケッチや、筆・顔料などの絵具が並んでおり、横山操の画業を垣間見ることが出来た。また当時の新聞連載小説「石版東京図絵」の挿絵127点がほぼコンプリートされていて、小品ながらも興味深かった。

彼は「炎炎桜島」や「塔」のようなドス黒い迫力のある作品が有名だが、今回そうした代表作はなかったものの、往時を偲ばせる富嶽画「未完1~4」が印象的だった。

また右半身不随となった晩年の作品である「むさし乃」や「茜」は、左手で描いたとは思えない繊細かつ穏やかな画風に見入った。

是非代表作群も生で拝みたいので、また三鷹市美術ギャラリーで開催してくれないだろうか。


「モネ それからの100年」

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義父と横浜美術館で開催されていた「モネ それからの100年」を観に行って来た。義父は趣味で油絵を描いており、地域の美術展にも毎年出展している。そんな義父の一番好きな画家がモネだった。

クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)はフランス印象派を代表する画家であり、日本でも人気が高い。行った日が日曜ということもあり、かなり混んでいた。

モネの作品は初期から晩年まで全部で24点。日本初公開の作品も2点あったし、睡蓮も何点があったけど、全体的にあまり知られていない作品が多かった。筆使いや色合いなど、音声ガイドではなく義父の解説を聞きながら、1つずつゆっくり観賞する。なかなか贅沢な時間。

最も感銘を受けたのは「テムズ河のチャリング・クロス橋」と「霧の中の太陽」。どちらもロンドン滞在期の1903~4年の作品で、夕霧に霞むテムズ河に架かる橋が描かれている。近くで観ると、それほど細くもない筆で、幾重にも重ねて絶妙な色合いを作り出している様子が分かるが、実際細かい部分はあまり良く分からない。それが離れて観た時に初めて橋の具体的な輪郭や上を走る汽車が浮かび上がってきた。それはまるで平面が立体になったような感覚だった。

今展はモネに影響を受けた以降100年の26アーティスト達の66作品も展示されていたが、正直モダンアートは全然分からない。特に以前川村記念美術館で見たマーク・ロコスなどは本当に分からなかった。そんな中で福田美蘭の「睡蓮の池」は面白かった。

名古屋のみの展示だったモネの希少な山岳画「コルサース山」が観たかった。

 

編み物

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最近娘は編み物に凝っている。昨年の秋にマフラーを編む道具を買ってもらって以来。すぐ飽きるだろうと思っていたが、早一年熱中し続けている。

元々手先は器用で、何かを作ることは好きだった。やるほど、学ぶほどに自分が上達することが楽しいのだろう。本屋や図書館に行くといつも編み物の本を探しては、指編み、かぎ針編み、棒針編みなど、色んな編み方を習得していった。独学以外におばあちゃんも先生だ。自分や友人・家族用にマフラーを編んだ後は、シュシュ、バッグ、ブレスレット、人形、クッション、たわし、などレパートリーを増やしていった。その出来映えはかなり立派なもの。親にはとても真似できないレベルである。

先週9月8日は彼女の9回目の誕生日だったので、何が欲しいか聞いたところ、ハマナカというメーカーの毛糸を所望した。1個350円もする高級毛糸だったが、せっかくなので全12色セットをプレゼントした。このまま行けばきっと職人さんにもなれるだろう。

ただその前に1つだけお願いがある。そろそろ私にもマフラーを編んでくれませんか。

岡本太郎美術館

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ひょんなことから娘が太陽の塔に興味を持ったので、川崎市多摩区にある岡本太郎美術館に行ってみた。

「芸術は爆発だ」で有名な現代芸術家 岡本太郎(1911-1996)。私はあまり抽象画やモダンアートが分からないのだが、実際に行ってみたら印象が変わった。若い頃にパリで美術と民族学を学び、兵役後は日本の縄文美術や伝統文化に傾倒。新しい芸術の創造をし続けた傍らで、民族学や文化論などの著書も多数あるらしい。

そうしたことを理解した上で展示作品を見ると、年代によって変化する作風や制作意図などが少し分かった気がした。常設展「岡本太郎とからだ」展は撮影不可だったが、企画展「街の中の岡本太郎」展では撮影可だった。

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手前は漫画家だった父一平の墓「顔 (1952)」。奥は「動物 (1956)」

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作家だった母かの子を偲んで作られた「誇り (1961)」

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幅10メートル以上の大作「明日の神話 (1968)」

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「太陽の塔 (1970)」の小さいバージョンもいた

今年から太陽の塔は内部公開もされているらしいので、今度行ってみたいと思っている。

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