オンラインツアー③ - アイルランド編

今日3月17日はセント・パトリック・デイ。アイルランドにキリスト教をもたらした聖人パトリックの命日であり、世界中のアイルランド人が祝うカトリックの祭典である。
これまでオンラインツアーを、1回目はアメリカのシアトル、2回目はスイスへと行って来たが、3回目となる今回はこれにちなみアイルランドへ行ってみたいと思う。

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<Day 1>
① ダブリン城
ロンドン経由でダブリン空港に到着し、まず最初に向かうのはここ。1204年にジョン王によって建てられたイギリス支配の象徴だが、ダブリンのシンボルでもある。

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② 聖パトリック大聖堂
アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックにちなむ最大の教会。記念日の由来にもなった聖人の歴史ある荘厳な大聖堂。

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③ アイルランド国立考古学・歴史博物館
紀元前2000年から現在に至るまでのアイルランドの至宝の数々が展示される。ケルト文化やヴァイキング時代など永い歴史を学べる。

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④ ギネス・ストアハウス
私が愛する黒ビールの殿堂ギネスビールの醸造所とミュージアム。ギネスの歴史や製造過程を知ることができ、最後に試飲もできる。

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⑤ テンプル・バー
アイリッシュパブや伝統料理屋が立ち並ぶ中心街。夜は老舗パブでビールを呑みながら、アイルランド伝統音楽の演奏に浸りたい。



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<Day 2>
① アイリッシュ・ロック博物館
2日目はアイルランドの英雄シン・リジーのフィル・ライノットを辿る日にしたい。まずはテンプル・バーにあるロック博物館。シン・リジーのみならず、ヴァン・モリソンやU2などレジェンドの業績を讃える。

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② フィル・ライノット像
ダブリン市内にあるフィルの銅像。ベースと共に立つ彼の凛々しい姿に会いに行き写真に収めたい。

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③ Phil Lynott Blue Plaque
かつてフィルが住んでいた郊外にある家に記念碑が飾られている。ただ今は全く関係ない他人の家。。

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④ セント・フィンタンズ墓地
ダブリンからレンタカーで湾岸沿いを1時間程度で走ったホウス半島の墓地にフィルが眠っている。是非訪れて花でも手向けたい。

と、こんな感じで今回はアイルランドのダブリンとフィルを訪ねる旅をした。時間があれば、北アイルランドのジャイアンツコーズウェイなどにも行ってみたいが遠いな。

ドラゴンクエスト

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去る3月1日に漫画家・デザイナーの鳥山明氏が亡くなった。享年68才だった。「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」は少年時代に熱中した漫画だったが、今回は「ドラゴンクエスト」について書きたい。

昨年末のクリスマスに娘と実家に行く途中でBook Offに立ち寄った。「これ買って〜」と娘が持って来たのは、ドラゴンクエストⅪのSwitch用ソフトだった。クリスマスだしまぁいいかと思い買い与えると、それ以来娘は異世界の勇者となった。

しかし学年末試験の1ヶ月前になると、娘は冒険を中断しSwitch一式を私に預けた。なかなか潔いじゃないかと感心していると、娘曰く「テストが終わるまで預けるから、その間に父ちゃんもドラクエやって。」どうやら私とゲームの話をしたかったらしい。

私は日頃ゲームなど一切しない。毎日仕事でパソコンと睨めっこで目が疲れるから、他ではなるべく画面を見たくない。しかし娘に言われちゃ仕方ない。ドラクエなんていつ以来だろう。立ち上げると目耳に飛び込んで来たのは、あの懐かしいキャラクターデザインとテーマ曲だった。

小学生の頃うちにはファミコンがなく、友達の家で集まって遊んでいたのは初代のドラクエだった。ある時小学校で音楽鑑賞会なる行事があり、学年全クラスで市民ホールへ行った。知らないクラシックなど子供にとっては子守唄でしかない。私含む男子児童のほぼ全員が爆睡をかましていた。若い男性担任のK先生も同様だった。

そんな中で最後に演奏されたのが、ドラクエのテーマだった。聴こえてきた重厚なオーケストラで奏でられる勇壮なメロディに皆で飛び起きた。「なんで、なんで?」と興奮して顔を見合わせる私達。あの時の友人やK先生の喜ぶ顔は今でも良く覚えている。あのテーマを作曲したすぎやまこういち氏も3年前に他界してしまった。

ちなみにドラクエⅪはグラフィックも世界観も昔とは比較にならないほど見事なものだった。ただ私の冒険は未だ全く終わりが見えず、娘は嬉しそうに色々ネタバレをしてくれる。

鳥山氏の魅力的なキャラクター達とすぎやま氏の名曲。時代も国境も越えて愛される作品を作り上げた彼らの功績は大きい。


寄ロウバイまつり

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2月初旬、毎年この時期に気になっていた松田町の寄ロウバイまつりを見に行って来た。寄は"やどりき"と読み、丹沢の麓の村である。小田急線新松田駅からバスに乗って行く。

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ここは元々地元の中学校の卒業記念でロウバイを植えるようになったことが始まりらしい。山の斜面に2万本のロウバイが満開だった。

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良い香りだが、どこか油っぽい香りが辺り一面に漂っており、その蜜を吸いに小さなメジロが沢山集まっていた。

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中には河津桜のピンクも混じっていた。松田町には河津桜が一面に咲くさくらまつりもこの時期開催される。

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腹が減ったので、売店でちまきと、ピリ辛こんにゃく、そして4色団子を買って食べたが美味かった。

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正面にはシダンゴ山(758m)が聳えていた。裏の山の尾根を辿ると鍋割山にも行けるらしい。久しぶりに山頂で鍋焼きうどんが食べたいなぁ。

ジャーマンメタル傑作10選

先月竜ジャケを取り上げた際にHeavens Gateに触れて以来、かつてのジャーマンメタルばかりずっと聴いている。ルールに厳しく質実剛健なドイツ人の作る音楽は、昔から力強さと哀愁に溢れ、日本人の琴線に触れてきた。今日はそんなドイツのメタルを取り上げたい。

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① Scorpions 「Fly To The Rainbow」 (1974)
ジャーマンメタルではないが、ドイツのハードロックの始祖。クラウスの哀愁ボーカルとウリの泣きギターが絶品。世界中にドイツを知らしめた功績大。

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② Accept 「Restless And Wild」 (1982)
ウドの金切り声が強烈なヘヴィメタルだが、その音楽性はクラシックも導入したりと結構メロディアス。ファストチューンのM1は後世への影響大。

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③ Helloween 「Keeper Of The Seven Keys Pt.2」 (1988)
スピード・パワー・メロディという3本柱にコミカルさも加えて大成功したジャーマンメタルの立役者。後世に数多のフォロワーを生み出した。

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④ Gamma Ray 「Heading For Tomorrow」(1990)
Helloweenを脱退したカイ・ハンセンが結成したバンド。本家が失速しているタイミングにデビューし、本家のお株を見事に奪って行った。

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⑤ Running Wild 「Blazon Stone」(1991)
海賊のコンセプトや甲冑の衣装などで漢のイメージが強い。M1やM5の野太いボーカルもカッコ良いが、インストM11も好きだった。

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⑥ Pink Cream 69 「One Size Fits All」 (1991)
メタルというよりハードロックだが、妙に粘り着くようなメロディが秀逸だった。ボーカルのアンディがHelloweenに電撃移籍して驚いた。

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Heavens Gate 「Livin In Hysteria」(1991)
典型的なHelloweenタイプのバンドだが、その高い音楽性とプレイは日本でも人気を集め、BURRN!誌の表紙も飾っていた。

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Blind Guardian 「Somewhere Far Beyond」(1992)
ファンタジックな世界観とドラマティックな音楽性により、ヨーロッパでは絶大な人気を集めた。私は世界観にハマらなかったが。

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Rage 「The Missing Link」 (1993)
変わったリフでも強引にカッコ良くしてしまうパワーのあるトリオ。疾走曲のM1とM3、大曲M9が特に佳曲。

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Chroming Rose 「Pressure」 (1993)
このバンドもHelloweenタイプだったが、この3rdではミドルテンポで独自の個性を出してきた。特にM5は佳曲。

受験生と生理

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今月は受験シーズンである。先週は県内でも公立高校入試が行われた。中2の娘も1歳年上の従姉にどうだったかLINEで聞いていたようだ。

世の女子受験生達に昨年末に朗報があった。文科省が全国都道府県に対して、生理による体調不良も追試を認めるよう通知を出したというものだ。これまで触れることもタブー視されていた風潮が見直されているようだ。

うちの娘の最初は中学校入学式の日だった。本来なら晴れやかな日なのに娘は笑顔もなく終始暗い表情で、帰宅後も部屋に閉じ籠り、入学の感想など一切喋らなかった。この日激しい腹痛と多量の出血に苦しんでいたことを後で知った。

それからは定期的にやってきて、毎月学校を休みたいと訴えた。生理で体育を休む子はいても、終日欠席という子はあまりいない。しかし生理の軽重は個人差が大きく、辛そうな娘を見ていてダメとは言えなかった。

しかし毎月学校を休むとなると、授業にもついていけなくなり、テストや成績にも響いてくる。そこで2人でレディースクリニックへ行ってみた。私のように父親が来る場所ではないだろうが、父娘の2人暮らしなのだから仕方ない。診断結果は月経困難症だった。

その時医者に勧められたのが、ジエノゲストという薬の服用だった。生理を一時的に止める低容量ピルである。これには悩んだ。13歳(当時)にピルってどうなんだ?将来妊娠できなくなるのではないか?色々調べ、セカンドオピニオンも求め、問題ないという確証と本人の意思のもとで服用を始めた。

それから1年以上が経つが、以来全く生理は来ていない。辛かった日々もまるで嘘のようである。問題があるとすれば、娘がいつも食事後に薬を飲むのを忘れるので、毎回私が注意をしなければいけないということくらいだろうか。

今年は娘も受験生になる。学力的には懸念もあるが、健康面での懸念はなくなった。願わくば、世の受験生達がみんな万全の体制で受験に臨めますように。

「ASCENT OF 14座へ」

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A. EVEREST エベレスト (2011~2013年)
B. LHOTSE ローツェ (2011~2013年)
C. ANNAPURNA アンナプルナ (2023年)
D. MANASLU マナスル (2012年)
E. K2 (2022年)
F. NANGA PARBAT ナンガパルバット (2022年)
G. MAKALU マカルー (2014年)
H. BROAD PEAK ブロードピーク (2022年)
I. KANGCHENJUNGA カンチェンジュンガ (2018年)
J. GASHERBRUM Ⅱ ガッシャブルムⅡ峰 (2019年)
K. DHAULAGIRI ダウラギリ (2022年)
L. GASHERBRUM Ⅰ ガッシャブルムⅠ峰 (2023年)
M. CHO-OYU チョーオユー (2023年)
N. XIXABANGMA シシャパンマ (2023年)

石川直樹氏の「ASCENT OF 14座へ」が日比谷図書文化館で開催されていたので観に行った。氏がこれまで撮影してきたヒマラヤの8000m峰14座の写真展である。

これまで私は氏の企画展を過去2回観ている。2019年の「この星の光の地図を写す」、そして2020年の「すべての旅は本から始まった- 石川直樹の世界」。2つ目の時は講演会にも参加したし、著者も何冊か持っている。写真家であり、作家であり、冒険家でもある氏は、同世代の私にとって最も気になる1人である。しかし私は知らなかった。氏が今ヒマラヤ14座制覇を目指していたことを。

氏の最初の海外の高山は1998年アラスカのデナリだった。そして南極のヴィンソンマシフや南米のアコンカグアなどを経て、2001年に23歳でエベレストに登頂。七大陸最高峰世界最年少記録を更新した。

その後、氏の活動は驚くほど広がって行った。極北から太平洋の島々、日本の東京から地方まで様々な地域を旅しながら、文化人類学的な観点から人々の暮らしや伝統をカメラに収めてきた。

ヒマラヤはローツェやマカルーなどの写真集が出ていたし、K2は2015年に途中で撤退したことまでは知っていた。2020年に世界がコロナ禍に陥いると、人々の移動は途絶えた。ヒマラヤで登山隊のサポートで生計を立てていたシェルパ達も収入がなくなった。氏はそんなシェルパ達への支援も行っていた。だからだろうか。コロナ後に氏が凄い勢いでヒマラヤへ再び攻め始めたのは。

はっきり言って今回は会場が狭いため、作品数は限られていた。しかしマカルー頂上から撮ったローツェとエベレスト、ダウラギリ頂上から撮ったアンナプルナなど、登った者にしか撮れない見事な作品ばかりだった。

また、本が冒険の始まりとなった氏らしく、それぞれの山の初登頂者が書いた著書と文章が展示されており、各山頂の初登頂のシーンは読み応えがあった。

山は地球上で最も美しく尊いものであり、それぞれの山にはドラマがある。氏は残る最後のシシャパンマに今年再び挑むらしい。無事を祈る。

大磯探訪

先日鴫立庵を訪れた際に時間があったので、ついでに大磯のめぼしいところを少し巡ってみた。

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<鴫立庵>
最初の目的地がここ。平安時代の歌人西行が旅路で和歌を詠んだ地に建てられた鴫立庵。詳しくは先週。

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<旧島崎藤村邸>
明治期の文豪が晩年を過ごした家。大磯の左義長(どんど焼き)に惚れ込んで移住した彼は、この部屋で71歳で他界。最期の言葉は「涼しい風だね」だったそう。

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<古民家カフェこゆるぎ庵>
旧島崎藤村邸の目の前にある古民家カフェ。懐かしい感じの邸宅で、お洒落なガレットとタルトのセットを堪能した。

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<東海道杉並木>
江戸時代に植えられた杉並木が当時を偲ばせる。太いものは樹齢400年になるそうだが、あいにく上の方は切られていた。

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<明治記念大磯邸園>
大磯はかつて人気の避暑地だった。明治期の政治家 大隈重信と陸奥宗光の旧別邸がここにあり、かなり大きな邸宅だったようだが、あいにく工事中だった。

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<照ヶ崎海岸>
せっかくだからと海岸に出てみた。静かに打ち寄せる海岸線の向こうには、神山・明神ヶ岳・金時山といった箱根の山々が見えた。

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帰るまでまだ時間があるなと思い、衝動的に山に向かって歩き出した。谷戸の住宅地を抜けて山道を登る。

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<湘南平>
若い頃当時の彼女とよく夜に車を飛ばして来た場所だが、昼にしかも徒歩で来たのは初めて。2人で錠前を掛けたテレビ塔は老朽化のため閉鎖されていた。

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湘南平にこんなのがあるのを初めて知った。彼は小島烏水とともに日本山岳界の黎明期を拓いた人物だが、この土地の人だったらしい。

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360度の眺望は素晴らしく、大磯の町のみならず相模湾沿いの町並み全てと、伊豆半島・箱根・富士山・丹沢まで全ての山並みが一望出来た。

やっぱり神奈川は良いなぁ。

鴫立庵

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今年も娘の中学校では百人一首大会が開催された。今回娘は90句近く覚え、私とも練習を重ねた結果、クラスでも3本指に入る力をつけた。そして本番に臨んだ結果、1人で取りまくってチームを連勝させたらしく、鼻を高くして喜んでいた。

そんな娘を見て、私も和歌の世界に浸りたくなり、県内の歌枕を訪ねてみた。平安時代の歌人西行法師が東国を旅した際に立ち寄った鴫立沢。それが現在の神奈川県大磯であり、そこに建てられたのが鴫立庵(しぎたつあん)である。

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大磯駅から徒歩10分の国道1号沿いだが、静かな佇まい。西行の歌の通り沢が水音を立てて敷地内を流れている。石橋を渡り門を入る。

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鴫立庵は西行ゆかりであるこの地に江戸初期に建てられた俳諧道場で、以降代々引き継がれ現在の庵主が23代目。歴代庵主の句が展示されていた。

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藁葺き屋根の俳諧道場の軒下には、可愛らしい正月飾りが垂れ下がっていた。ここで俳句会が開かれるらしい。

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敷地内にある小さな円位堂には、等身大の西行像が祀られている。片膝を抱えた座像が風変わりで印象的だった。

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西行の歌碑「心なき身にもあはれはしられけり 鴫立つ澤の秋の夕暮れ」。聞いたところ、シギはここ20-30年の間に見なくなったらしい。

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こちらは西行を敬愛していた芭蕉の歌碑。ただし芭蕉はここを訪れてはいないらしい。何故だろう。

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「曽我物語」は隣町の有名な復讐劇だが、登場する虎御前は大磯の遊女らしい。これは彼女を祀った祠と碑石。

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1664年に小田原の崇雪という人がこの地に運んだ五体の石仏「五智如来像」。これが元となり、後年ここに庵が建てられた。

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庵が建った後に立てられた鴫立沢標石。裏面に刻まれた「湘南」の碑文が湘南という地名の由来になっている。


次に娘と百人一首をやる時は、私ももう少し句を覚えておかないとなぁ。

竜ジャケ

今年は辰年らしい。干支の中では唯一の幻想の生き物。東西で違いはあるが、畏怖すべき存在として多くの神話・伝説に登場する。今日はその辰(竜・龍)のジャケットを並べてみた。ちなみに便宜上、西洋は竜、東洋は龍と区別してます。

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Heavens Gate 「Livin In Hysteria」 (1991)
ジャーマンメタルの雄。Helloweenフォロワーだが、このアルバムのタイトル曲とラス曲は佳曲だった。このジャケットに描かれているように、西洋の竜はこのような大きな羽を持っているのが特徴。この竜はちょっと人間臭いが。

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Yngwie Malmsteen 「Trilogy」 (1986)
スウェーデンの速弾き王。性格には随分と難があるようだが、このアルバムは文句の付けようがない。ここで描かれるように西洋の竜には複数の首を持つヴァリエーションもあり、空を飛び火も吐く。

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Thin Lizzy 「Chinatown」 (1980)
アイルランドの英雄。他のアルバムに比べて人気が低いのはギタリストのせいか。でも傑作。で、こちらは東洋の龍。胴体が長くて羽がないのだが、なぜか空を飛べる。

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Asia 「Asia」 (1982)
プログレ界の凄腕が集まったスーパーバンドなのだけど、時代のせいかあまり緊張感はない。曲は良いんだけど。で、これは東洋の龍なのかな?胴体長いし、羽もないしな。


というわけで、やっぱりハードロック・ヘヴィメタルばかりになってしまった。本当は90年代以降のシンフォニックメタル・パワーメタル系に竜ジャケは多いようだけど、そっちはよく知らないです。

大宮盆栽美術館

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モトリー・クルーのトミー・リーは無類の盆栽好きとして知られる。いつも自宅の庭に並んだ高そうな盆栽たちを嬉しそうに手入れしている画像をSNSでアップしており、パメラ夫人も呆れているらしい。

昨年末の来日時には、さいたま市の大宮盆栽美術館に訪れた様子が上がっていた。ここは私も2年ほど前に行ったことがあるので、正月気分を引っ張るために、今回振り返ってみたいと思う。

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館内に入るとこの盆栽が出迎えくれた。何の木かは忘れたが、いかにも大きくて立派な盆栽で、一体いくらするのだろうと邪推してしまった。

この後の館内の撮影は不可だが、所蔵の名品とともに盆栽の歴史や解説、床の間の座敷飾りなど、盆栽の世界へ引き込まれるような展示がされている。並ぶ盆栽も季節によって展示替えされるとのこと。

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真柏 推定樹齢350年
庭園に出ると撮影可だったので撮りまくった。この幹と枝ぶりの妙を見ながら、350年という長い年月の経過に思いを馳せる。

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山椿 推定樹齢120年
小さくても花はちゃんと咲く。行ったのは冬だったのでツバキだけだったが、他の季節なら梅や桜、藤などの花々も見ることも出来る。

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欅 推定樹齢160年
大木になるはずのケヤキがこの小ささで完成しているのが不思議。ちなみにこれは吉田茂が東京オリンピックの際に出品したものらしい。

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五葉松「青龍」推定樹齢350年
特に立派な名品になると、銘といって名前が付いている。こんなに傾いている木を支えている幹と根の強さはどうだ。

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五葉松「千代の松」推定樹齢500年
樹高1.6m、横幅1.8mを超えるこの美術館の中でも最大の一品。もはや盆栽のスケールを超えている。

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蝦夷松「轟」推定樹齢1000年
見た中では最も樹齢の長い盆栽だった。既に幹の内部は枯れて空洞化しているのに葉は青々としており、その生命力に感嘆した。

私は元々、自然は自然のままであるべき、という考えなので、この盆栽というのはいささか私の自然観に反するものだった。本来なら大きく成長するはずの木々を小さく押し留めているのだから、木々にはストレスなのではないかと。しかしこれを自然ではなく美術品として考えるなら、これ以上のものはないという考えに至った。

出来れば私も小さいものを所有してみたくなったが、置くところがないな。そもそも買えないか
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